荒神信仰の総本山「清荒神清澄寺」 清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)は今からおよそ1100年前、宇多天皇が鎮護国家の理念を築くために創建されたお寺。天皇の命によって讃岐国の名工であった定円法眼(じょうえんほうげん)が曼荼華の香木で大日如来像(本尊 […]
静寂に包まれたお寺「三千院」 三千院は延暦年間(782~806年)に最澄が比叡山東塔南谷に円融房を建てたことに端を持つお寺。青蓮院、妙法院とともに天台宗三門跡寺院の一つとして知られています。 その歴史を見れば、何度か移転を繰り返してきたようで、比叡山 […]
清き流れの「水間寺」 高志才智(こしのさいち)と古爾比売(こじひめ)との間に生まれた行基は成長し15歳になると早くも出家し、薬師寺に入ります。そこで道昭より瑜伽唯識(ゆか・ゆいしき)を学び、竜門寺の義渕からは法相を学びました。元々優秀であった […]
門跡寺院としての矜持「青蓮院」 三千院、妙法院とともに天台宗三門跡寺院の一つに数えられる青蓮院。天台宗の祖である最澄が比叡山を開くにあたって築いた青蓮坊をその起源としています。その坊には古来より延暦寺に属する著名な僧侶が住まい、開基である最澄は元より、 […]
湛海律師と村民の絆「宝山寺」 宝山寺は斉明天皇元年(655)に役行者が開いたとされる真言律宗大本山の寺院。当初は修験道場として発ち、あの空海も境内に今なお残る般若窟で修行を行ったとされています。それから時を経た延宝6年(1678)に湛海律師が寺を再興 […]
兵庫県内最古の神社「廣田神社」 兵庫県は西宮市の名の由来については、「京の都から西の方角にある地」がその発端としてあり、古くは平安時代の百科事典『伊呂波字類抄』や伴信友『神名帳考証』にも西宮の表記が見られます。西宮は古くから特別に重要な神様の住まう地で […]
皇族の菩提寺「泉湧寺」 泉涌寺(せんにゅうじ)の創建は諸説あるようですが、寺の由緒書きによれば、天長年間(824年-834年)に弘法大師がこの地に草庵を結び、それを法輪寺と名付けたことをその創始とする説が一般的のようです。法輪寺はその後、仙遊寺 […]
えびす神社の総本社「西宮神社」 西宮神社は全国で3500以上はあるえびす神社の総本社で、主に商売繁盛をつかさどる七福神の1人「えびす様」を祀っています。その愛らしい姿から地元では特に親しみを込めて「西宮のえべっさん」の名で呼ばれ、いつも多くの地元民が境 […]
賢人の劇的な出会い ~聖徳太子と達磨大師~「達磨寺」 達磨寺の境内には珍しくも3つの古墳(6世紀頃の構造)が存在しています。いずれの古墳からも貴重な宝物品が発見されており、本堂の東北隅にある1号墳からはガラス小玉や須恵器が、そして2号墳からは江戸時代の銭貨である寛永通宝など […]
日本を代表する縁切りスポット ~崇徳天皇の気配に触れる~「安井金比羅宮」 安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は天智天皇の治世(668~671年)に藤原鎌足が当地に仏堂を建立したあと、脇に紫の藤を植えて家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことにその創始を持ちます。別称を藤寺と号し、時節になると咲き誇る […]
日本の小釈迦を生んだお寺「法楽寺」 法楽寺の創始は、源平の合戦で戦死した平家と源氏の霊を弔うべく治承2年(1178)に平重盛が仏照より賜った紫金の仏舎利二顆と源義朝の念持仏如意輪観世音を安置したことに始まります。しばらくは兵火に見舞われることなく、安泰に教 […]
日本三文殊の一つ「安倍文殊院」 安倍文殊院の創始は大化元年(645)、当時左大臣として権勢を誇っていた安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が大化の改新の折、その氏寺として建立したことに端を持つお寺。永禄6年(1441)2月に勃発した松永弾正の政変で甚大な […]
鈴虫の音色に誘われて「鈴虫寺(妙徳山 華厳寺)」 鈴虫寺へと通ずる石段を登っていくと、正門から続く長蛇の列ができていました。 何事かと思いながらその最後尾について、列が解消するのを待っていましたが、5分経過してもなかなか前に進みません。 よほど境内に人が滞留しているのか […]
大将軍社が放つ不思議な光「大阪天満宮」 菅原道真は幼少の頃から類まれな才能を持ち合わせ、わずか5歳で和歌を詠むなど周囲からは神童として仰がれていました。その才覚は成長するほどに開花してゆき、貞観4年(862)には文章生に、そして貞観16年(874)には若年であ […]
縁結びと金運にご利益あり「敷津松之宮(大国主神社)」 敷津松之宮(しきつまつのみや)の由緒はとても古く、神功皇后が三韓征伐より帰朝の折、敷津の浜に荒波が打ち寄せるのを目にして、渚に松を3本植えたあと、ここより潮が満ちないよう素盞嗚尊に航海の安全を祈願されたことをその端緒とし […]
清和源氏発祥の地「多田神社」 当時摂津守であった源満仲は次に居住する新しい館をどこに築くべきか思い悩んでいました。思案してもよい答えが出てこなかったので、思い切って住吉大社に参篭し、神のお告げが降りてくるのをずっと待っていたところ、その27日目に「北 […]