荒神信仰の総本山「清荒神清澄寺」

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清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)は今からおよそ1100年前、宇多天皇が鎮護国家の理念を築くために創建されたお寺。天皇の命によって讃岐国の名工であった定円法眼(じょうえんほうげん)が曼荼華の香木で大日如来像(本尊仏)を彫ったあと、寛平8年(896年)には開山として高僧静観僧正、そして導師として益信僧都(やくしんぞうず)を迎えて開創の運びとなりました。

 

今でこそ清荒神清澄寺との名で通っていますが、当時は山の尾根と西の谷にそれぞれ清澄寺と荒神社が別々に建てられていました。長尾山系の七峰七渓に七堂七十二坊の壮大な伽藍が造営され宇多天皇からは「日本第一清荒神」との称号を与えられるなど、創建からおよそ300年の間はその寺勢をますます発展させていったようです。

 

しかし他のお寺と同様、清荒神清澄寺もこの世の戦乱からは全く無縁というわけにはいきませんでした。寿永2年(1183)の源平の合戦で壮大な伽藍がことごとく焼失してしまったのです。源頼朝の手によりからくも再建されはしましたが、それからおよそ400年後の荒木村重の乱で再び諸堂は炎上してしまいました。不思議なのはこうした度重なる兵火に見舞われながらも西の谷の荒神社だけは災いを免れた点。これを世の人は荒神尊王の霊験なのではないかと噂しました。やがてその噂は大きなうねりとなって程なく山の尾根の清澄寺も今の地である西の谷に再建されたのでした。
その後は勢いを取り戻し、江戸時代末期には浄界和上の手により現在の山容が整い、昭和22年には「三宝三福」の教理に基づく真言三宝宗の教えのもと、荒神信仰の総本山である清荒神清澄寺として新しく法幢をかかげるに至りました。現在では俗に「荒神さん」の名で親しまれてもいますね。

 

ちなみに荒神とは火の神様、台所の神様のことを指しています。それを信仰することで家内安全、商売繁盛、厄除開運などの現世利益をもたらしてもくれるようです

 

ここでは順路に沿って境内を巡りその力を感じてみることにしましょう。
山門を抜けてまっすぐ50メートルほど進むと、向かって左側になだからに傾斜する石段が見えてきます。登った先には天堂と呼ばれる大きなお堂があり、ここには三宝荒神王、大聖歓喜天、十一面観世音菩薩などが祀られています。祈ることで夫婦和合や徐病などの利益にあやかれるようですのでまずはここで静かに手を合わせましょう。
その裏手へ足を向けると荒神影向(こうじんようごう)の榊が緑の葉を茂らせています。
これは創建時に荒神様が降り立った場所であるとされ、そこに供えられたお賽銭をいただき、次回参詣に来た時には倍にしてお返しするという風習がずっと続いているようです。
ちなみにお賽銭は御守りとしても効果があるそうですよ。

 

山門。左脇に建つ「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑はここからは聖域であるという意味を表しています

 

参道

 

天堂

 

荒神影向の榊

 

行者洞と宝臓の間の急な石段を登り宝稲荷社を横目に石段をまた下っていくと、本堂が見えてきます。建物は比較的新しく、現在のものは平成の大修理により5年の歳月を費やして完成されたもの。中には左から不動明王、大日如来、弘法大師が祀られています。
お堂の脇には賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)の像も据えられ、ここにも多くの参詣者が手を合わせている姿が印象的でした。

 

火鉢納所。厄をつまみ出してくれる火鉢が収められています。自宅に祀っていたその火鉢に新たな火鉢を添えて納める風習があるようです

 

本堂。脇にあるのが賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)の像

 

本堂を背にまっすぐ山門へと続く参道を歩いていると左手には美麗な池苑が。そしてその向かいには唐金造りの巨大な一願地蔵尊が鎮座しています。頭に水を掛けて一つ願いを念じれば、ご利益にあやかれる地蔵さんで、境内もっとも目立つ場所に据えられているからか、数あるお堂の中でもとりわけ人気を集めるパワースポットであるかなと感じました。

 

池苑

 

一願地蔵尊。明治24年に完成。その光背には寄進者の名が刻まれています

 

鉄斎美術館。 第37世法主 光浄和上と富岡鉄斎との機縁で昭和50年4月に開館しました

 

龍王滝。滝の正面左の岩肌に不動明王が祀られています

 

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アクセス

兵庫県宝塚市米谷清シ−1
TEL 0797-86-6641
JR宝塚線 宝塚駅下車 タクシーで約10分
阪急宝塚線 清荒神駅下車徒歩15分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.kiyoshikojin.or.jp/
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