愛を結ぶお寺「勝鬘院(愛染堂)」

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勝鬘院の創建は推古天皇元年(593)、聖徳太子がこの地に建てた施薬院をその起源としています。当初その機能は病の治療を主な目的とし、敷地に植えられた薬草を求めて多くの人々がこの施薬院を訪れました。やがて訪れた人々へ聖徳太子は勝鬘経と呼ばれるお経を講じ始めます。勝鬘経とは仏教における中期大乗仏教経典のひとつでインドは波斯匿(はしのく)王の娘・勝鬘夫人(しょうまんぶにん)が説いたものを釈迦が認めたお経です。

 

門前

 

当時、悟りを開くためには何より出家することが必須の条件でした。
ところが当の勝鬘夫人が在家の身分であったことから、出家していない女性でも悟りの開けるお経として勝鬘経は一躍注目を浴びるようになりました。
後に勝鬘夫人の仏像が本堂に安置されたゆえもあって、施薬院は程なく勝鬘院と呼ばれるようになりました。

 

寺の正式名称は勝鬘院ですが、現在では通称である愛染堂の名で呼ばれることが多いようですね。その理由は金堂に安置された愛染明王(あいぜんみょうおう)の存在感と無縁ではないでしょう。

 

愛染明王は金剛薩埵(こんごうさった)の化身で、密教特有の憤怒の相を主とする明王。
その姿は3つの目と6つの腕を併せ持ち、真っ赤に染まった全身と燃える眼差しがどこか威圧的なパワーを感じさせます。しかしその恐ろしげな外見とは裏腹に実際は優しく、愛敬のある仏様で、寺の由緒書によれば参ることで「無病息災」「増益」「敬愛」「降伏」「鈎招(福神を招く)」「延命」に絶大な力を発揮するとのことです

 

とりわけ良縁成就や結婚成就、夫婦円満において最強最高の効験があるようですね。どうせなら金堂に参詣した後は愛染明王の力の振り分けられた各パワースポットに寄って余すことなくその恩恵を感じてみてください。

 

金堂

 

「愛染めの霊水」は開運、夫婦和合、良縁成就などに功徳のある霊水で、全国各地からこの水を汲みに女性が訪れます。また商売繁盛にも大きな功徳があるようで、この水で染め物をすると色よく染まることから染物屋の間で厚い信仰を集めています。その喜びは「賑わしや 愛染詣での 紺屋づれ」と詩に詠われるほどであったようです。

 

愛染めの霊水

 

また「愛染めの霊水」の横手には樹齢数百年の「愛染かつら」が天に向かって突き立っています。その桂の木にはノウゼンカズラのツルが巻き付き、その姿はさながら男女が寄り添い合っているかのように見えます。実際この霊木の前で愛を誓った男女は、どんな困難に見舞われようとも最後は幸せになれるという言い伝えが残っています。過去にはその伝説に刺激を受けた作家の川口松太郎がこの寺を取材し小説「愛染かつら」を書き上げました。後に何度も映画化されたことでも愛染堂は注目を集めました。

 

愛染かつら

 

ところで愛染堂といえば金堂の背後に聳える多宝塔を抜きにしては語れません。推古天皇元年(593)に建てられた現在の多宝塔は織田信長の大阪石山寺攻めで焼失した後、慶長2年(1597)豊臣秀吉の手により再建されました。市内では最古の木造建築とされ、その内部には秀吉が戦勝祈願のために造らせた大日大勝金剛尊像と十二天の壁画と柱絵が奉安されています。また毎年6月30日から7月2日に開かれる愛染まつり(天神祭、住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭り)では、その初日のパレードの最後を飾る「駕籠あげ」が多宝塔の前にて執り行われます。選出された愛染娘12名が巨大な多宝塔を背景に若々しく跳ねあがる光景は、何年経過しても記憶から色あせることはありません。

 

多宝塔

 

哲学の椅子。この椅子に座ることで様々なアイデアが浮かんでくると云われています

 

腰痛封じの石。背もたれの突起に背骨のツボを当てつつ呼吸をすれば腰痛に効果があるとされています

 

如来塔、身代わり地蔵、身代わり観音。身代わり地蔵は将来その人に降りかかるであろう災難を身代わりとなって受けてくれるそうです

 

不動明王と魚藍観音(ぎょらんかんのん)。魚藍観音のご利益は魚介類の供養と海上交通の安全。魚屋、漁師から厚い信仰を集めています

 

大力金剛尊。勝利開運のご利益があります

 

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アクセス

大阪府大阪市天王寺区夕陽ケ丘町5-36
TEL 06-6779-5800
地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅下車 徒歩3分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.aizendo.com/
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