えびす神社の総本社「西宮神社」

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西宮神社は全国で3500以上はあるえびす神社の総本社で、主に商売繁盛をつかさどる七福神の1人「えびす様」を祀っています。その愛らしい姿から地元では特に親しみを込めて「西宮のえべっさん」の名で呼ばれ、いつも多くの地元民が境内に参拝します。

 

表大門(赤門)。現在のものは慶長九年(1604) から14年かけて豊臣秀頼公の奉献により復元されました

 

もっとも界隈がおおいににぎわうのは今宮戎でもとりあげた十日戎の3日間でしょうか。1月9日の宵えびす、10日の本えびす、11日の残り福の折には毎年100万人を超える参拝者がこの地を訪れるのだそう。
とりわけ本えびすの午前6時より開催される「福男選び」は阪神間最大の祭りとして全国的に知られていますね。

 

開門と同時に230メートル先の本殿に向かって走り抜けるこの催しは毎年全国から6000人以上が参加し、3番手までにゴールした人間がその年の福男の栄誉を授かります。

 

この催事がいつ頃から始まったものかは定かではありませんが、そのルーツとして家からの外出を禁ずる「忌篭り」の状態が解かれた後に氏子たちが一斉に家から神社まで駆け抜ける風習が形を変えて今なお続いているという見方があるようです。
なお福男と銘打ってはいるものの、当然女性の参加も認められています。毎年3割程は女性の参加者がいるようですので、体力に自信のある方は一番福を得るべく積極的に参加してみてはいかがでしょうか。(女性の一番福は未だに出ていません)

 

参道。1月10日には6000人以上の老若男女がこの参道を本殿に向かって駆け抜けます

 

西宮神社の創建年は明らかではありません。しかし由緒書きによると、神戸は和田岬の沖から出現した御神像を、西宮は鳴尾の漁師がお祀りした後、神託によってそこから西の方にある西宮へと移したことがその創始ではないかと伝えられています。平安時代には廣田神社の境外摂社として「浜の南宮」との名で呼ばれ、特に皇族の筋から厚い信仰を集めていたようですね。またその末期になると今ある西宮の戎信仰がにわかに興り、室町期には、神社の北隣にある散所村

 

南宮神社。同じく西宮に鎮座する廣田神社の境外摂社で、豊玉姫神をはじめ総勢4柱を祀ります

 

なお彼らが拠点にしたのは西宮神社に今でも鎮座する百太夫神社。社には人形遣い達の祖神である百太夫神が祀られています。今の社は元々散所村にあったものを天保10年(1839)に境内へと遷座したもので、毎年1月5日にはこの社の前で御祝儀舞、三番叟(さんばそう)・えびす舞などの人形廻しが奉納されます(百太夫神社祭)。

 

拝殿。本殿には第一殿にえびす大神、第二殿に天照大御神、大国主大神、第三殿に須佐之男大神が祀られています

 

百太夫神社

 

年間19の年中行事・祭典がある西宮神社ですが、正月の十日戎を紹介した以上、7月に催される夏えびすに触れないわけにはいきません。
夏えびすは7日・9日・10日・20日に開かれ、各日とも正月の十日戎に負けず劣らずの盛り上がりを見せます。初日の7日は七夕に重ねて境内の神池にLED電球による天の川が架かり、9日と10日には境内の松林で近隣の飲食店の協力による「荒戎麦酒祭 エビス・ビールフェスタ」が催されます。そして20日はいよいよ祭りのクライマックスである江戸末期から続く万燈籠の登場です。参道に多くの参拝客が並ぶ中、午後6時より境内330基の石燈籠とおよそ5000のろうそくに御神火が次々と灯されます。夜の境内に幾千の光が浮かび上がる光景は誰もが思わず吐息を漏らすことでしょう。

 

神池

 

その他、日本三大練塀に数えられる全長247メートルの土塀や、三連春日造(さんれんかすがづくり)で造られた珍しい構造の本殿なども西宮神社の注目すべきスポットとなっていますので、どうせなら催事の時期に併せて訪れてみるのもよいかもしれませんね。

 

六英堂。岩倉具視の東京・丸の内にあった私邸の一部

 

大練塀

 

松尾芭蕉碑文。「扇にて 酒くむかげや ちる桜」

 

お休み処

 

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アクセス

兵庫県西宮市社家町1−17
TEL 0798-33-0321
阪神電車・本線「西宮駅」より徒歩5分
JR神戸線「さくら夙川駅」より徒歩10分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://nishinomiya-ebisu.com
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