昨年の年の瀬、蕎麦は食べられましたか?
蕎麦は五臓の停滞物を除くとの言い伝えから、旧年の穢れを去るために年越しで食べられてきました。また、引っ越し蕎麦は身体の汚れを落とす意味があるといいます。
蕎麦の原産地はロシアのバイカル湖から中国北東部に至る冷涼な地域といわれ、日本には中国から朝鮮半島を経由して伝えられたと考えられています。
古い記録では奈良時代の養老6年(722)に干ばつ飢饉に備えるため蕎麦の栽培を奨励した元正天皇の詔勅が「続日本書紀」にみられます。やせた土地や山地、寒い気候の場所でも生育期間が短くてすみので、救荒作物として日本人をしばしば助けてきた有難い穀物なのです。
粒食の日本人としては蕎麦を粒のまま煮て食べたり、米と混ぜて炊いて蕎麦飯として食べてきました。また粉食では初めは粉に挽いたものを熱湯でこねる蕎麦がきや、これを蒸した蕎麦団子でした。しかし、江戸時代初期につなぎに小麦粉を入れることを知ってから麺状となり、それがきっかけで日本人を蕎麦好き民族にしたのです。粒のままの蕎麦がきなどはどうしても救荒的なイメージですが、麺にすることで一転して粋な食になったのでした。
それからの日本人は得意の知恵を発揮し、さまざまなタイプの蕎麦を次々に考えました。つなぎに鶏卵を用いた卵切り、鯛のすり身を使う鯛切り、挽茶を使う茶蕎麦、柚子での柚子切りなど。
蕎麦は栄養面でも優れていて、非常時に備える食品としては適したものでした。小麦よりタンパク質が多く、アミノ酸の構成も良質であり、ビタミンB1やB2が豊富で、中でも血流を良くするルチンが極めて多く含まれています。蕎麦は現代でも人気ですが、健康機能を考えてもご先祖様の選択、麺として取り入れた知恵は素晴らしいものでした。
蕎麦といえばタレが大事ですね。いくら良い蕎麦を打ってもタレが美味しくなければ蕎麦の風味は半減してしまいます。味醂と醤油に砂糖を加えて煮立たせたものを本返しと名付け、これに鰹節の煮出し汁を隠し味と共に調合するのが店ごとの技。
蕎麦粉を薄く溶いた湯や蕎麦を茹でた湯を蕎麦湯といい、蕎麦屋では朱塗りの四角い湯桶に入れて出されたりします。この蕎麦湯にはミネラルや各種ビタミンなどが多く含まれている上に、蕎麦の香りも残っているから飲まないともったいない。タレを蕎麦湯に少し落としてお茶代わりに味わってみると良いでしょう。
「食と日本人の知恵(著:小泉武夫)」岩波現代文庫