京都最古の神社 松尾大社

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古来よりお酒は神様の領域に近付ける不思議な飲み物として認識されていました。
神様とのコミュニケーション手段である神事に「御神酒」を捧げ、お願いし、行事の最後には一同、ともに御神酒を飲み干すことで神様の霊力を分けてもらえるといった考えがあったようです。現在でもお祭りなどでそうした習慣を見ることが出来ます。御神酒をいただき、酔うことでより神様に近づこうとする。文明の進歩で幾らか神様の存在は薄まったとはいえ、未だ酒と神との関係は分かちがたくしっかり結びついているのです。

 

お酒の資料館前にある巨大な酒樽。隣のタヌキも可愛いですね

 

小さな館内に様々な酒造道具が並んでいます

 

松尾山の麓に広がる松尾大社。賀茂神社と並び京都最古の神社と言われています。
御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の2柱、日本第一酒造神(お酒の神様)として、特に酒造関係者から厚い信仰を集めてきました。
しかし、お酒の神様としても祀られるようになったのは中世以降のことで、それまでは一帯に住まう住民の生活の守護神として崇められていました。場所も現在の社殿のようなものはなく、松尾山の頂上付近に祀った巨岩の磐座(いわくら)を神の宿る対象として信仰していました。しかし、5世紀になってこの地に朝鮮半島から弓月君(ゆづきのきみ)を祖とする秦一族が大挙して入植し、趨勢が変わります。彼らは当時画期的ともいえる先端技術を用いて、山城丹波の両国に水路を走らせ土地を開拓し、やがて一帯を治めた秦氏は松尾の神を一族の総氏神と定めました。そして飛鳥時代の大宝元年(701年)。松尾山の麓に現在の社殿を建立、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が山の磐座を麓の社殿に勧請(かんじょう)しました。
以来、世襲の禁止される明治初年に至るまで秦氏がその神職を代々受け継ぎ、また秦氏が渡来時、酒の醸造技術に長けていた所以もあって、松尾大社はいつからかお酒の神様を祀る神社として知られるようになったのです。

 

実際、松尾大社の境内には至る所に、お酒に関わる伝説や展示物が見受けられます。
例えばお酒の資料館。二の鳥居と楼門の間の参道を左に折れて真っ直ぐ進むと見えてくる二十畳ほどの小さな建物。向かいには2メートルほどの巨大な酒樽が立っていて、インパクトはかなりのものです。入り口脇には米を蒸す際に利用された大きな和釜。それを横目に中に入ると米を洗うのに使用した米洗器、洗い終えた米の水切に必要な井篭、もろみを絞る時に用いる酒曹など酒作りに当時必要であった道具が館内所狭しと並んでいます。また酒造りの過程は模型とボードで展示されていてとても分かりやすく、中央には青いハッピを着込み捻じった鉢巻を頭に巻いた巨大なマネキン人形が大きな樽を前に酒を作っている様子を鑑賞できます。

 

『大山咋神がこの水をくみ置いていたら、一夜にして酒となり、その酒を諸国の神々に振る舞った』
これは、松尾大社に古来より伝わる伝説です。

 

亀の井の湧水。松尾山を背景にひっそりと存在します

 

霊亀の滝。山の湧水が落差10m程の滝に流れます

 

文中にある「この水」とは、京都の名水「亀の井」のことを指します。亀の井は楼門から境内へ入り、本殿右手の通路の下をくぐった先にありますが、くぐると道は狭くなり、光も茂る木々に遮られ、森の奥から滝の弾ける音が冷たく静かな大気によく響きます。
亀の井はそんなシンと張りつめた空間の、少し開けた場所に存在します。井戸の中には松尾山一帯に降り注いだ雨が地中で濾過され、天然の水として湧出しており、飲むと延命長寿のご利益があり、別名「よみがえりの水」としても親しまれています。またこの水をお酒の元水として造り水に混和すると美味しいお酒が造れ、かつ腐らないとの言い伝えがあり、その噂を耳にした全国各地の酒造・醸造業者がこの水を汲みに来るようです。

 

楼門近くにある幸運の撫で亀さま。感触はとてもツルツルしています

 

本殿脇の撫で亀さま

 

亀の井からさらに山の方へ向かって進んでいくと「滝御前」と書かれた鳥居があり、抜けて階段を登った先に霊亀の滝(れいきのたき)が現れます。
この谷では和銅7年(715年)に、首に三つの星と背に七つの星が刻まれた珍しい亀が見つかり、それを元正天皇に献じたところ、天皇はたいそう喜び、元号を「和銅」から「霊亀」に変更したという言い伝えが残っています。それによるとその亀は元の場所に返したようですが、次の聖武天皇の治世、神亀6年(729年)に再び谷から亀が姿を現し、その背中には「天王貴平知百年」と刻まれていたとのこと。「天王貴平知百年」とはつまり「聖武天皇の時代は平和が100年続く」との意で、これを喜んだ聖武天皇は先の天皇同様に元号を「神亀」から「天平」へと変更したと言われています。

 

亀は古来より鯉ともども松尾大神のお使いとされていました。
大山咋神が土地の開拓状況を視察する際に遣わしたのが亀と鯉だったと言われています。
そのため境内の至る所に亀と鯉のオブジェを確認することが出来ます。幸運の双鯉、取水舎の亀、庭園近くの亀、わけても幸運の撫で亀さまは多くの人に親しまれています。
場所は二カ所。本殿向かって左側と楼門入ってすぐの川近くに置かれ、撫で亀さまに触れると健康長寿、家庭円満のご利益があるようです。

 

相生の松。すでに天寿は全うしていますが、そうとは思えないほどの力強さを感じます

 

本殿。改築を繰り返し、現在のものは室町初期の建造。松尾造りで建てられ、重要文化財にも指定

 

さて、本殿そばには「相生の松」と呼ばれる太い古木を見ることができます。同じ根から雌雄の松の木が二股に生えて絡み合い成長したもので、その樹齢は何と350年に達しているとのこと。しかし、既にその天寿は全うしています。昭和31年に一方が枯れると、残されたもう一方も後を追うように翌32年に枯れてしまいました。そこで昭和47年には、しめ縄を幹に巻き、覆屋を施した上で保存されることになりました。その力強く雌雄絡み合う姿から恋愛成就、夫婦和合のご利益があるとされ、そのご利益にあやかるべく全国各地から参拝客が後を絶たず、境内の葵殿で結婚式を行うカップルも多数おられるようです。

 

曲水の庭。奈良・平安期の曲水式庭園を範として構成されています

 

蓬莱の庭。三玲と長男完途の合作庭園

 

松尾大社は、他にも昭和の名作庭家・重森三玲氏遺作の庭として有名な「曲水の庭」、「上古の庭」、「即興の庭」、「蓬莱の庭」の四庭を有料で見ることが出来ます。徳島、香川、愛媛の緑泥片岩を使用しての石組構成は、伝統を重視しつつ現代的な表現を目指す重森三玲氏の最終到達点を垣間見ることが出来ます。お立ち寄りの際は是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

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アクセス

京都府京都市西京区嵐山宮町3
TEL 075-871-5016
阪急電車嵐山線 松尾駅下車徒歩約3分

http://www.matsunoo.or.jp/index-1/index.html
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