京都五山の第一位 「天龍寺」

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天龍寺の創建は暦応2年(1339)、後嵯峨天皇とその皇子亀山天皇の建てた離宮「亀山殿」を足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために寺へと改めたことに始まるとされています。
ちなみに「亀山」とは天龍寺の西に聳える「小倉山」のこと、天龍寺の山号である「霊亀山」はこれに端を発しているようですね。

 

ところで足利尊氏と言えば、新政権を樹立するべく倒幕に乗り出した後醍醐天皇に一時はその功績を認められるも、樹立した親政の崩壊間際には自ら反旗を翻して、最後には天皇と激しく敵対していたはず。なのにその菩提を弔うために寺を建立とは動機としてどうもしっくりきません。実は尊氏に鎮魂の意を込めた寺の建立を強く勧めたのは当時禅僧として誉れの高かった夢窓疎石でありました。

 

中門

 

その夢窓疎石の歴史を追っていくと、足利尊氏と後醍醐天皇との浅からぬ関係性が見えてきます。東大寺にて授戒した無窓疎石は20歳の頃に禅宗に転じ、各地の諸寺に学んだ後、建長寺の一山一寧のもとで首座を勤める栄誉に授かりました。しかし寺を継ぐことはなく、京都や土佐など各地を放浪、のち上総に流れつくと後醍醐天皇より南禅寺の住持になるよう要請されるがこれを拒否、やがて北条高時による「上洛せよ」との命で京都に向かうと、正中2年(1325)年、再びの天皇の要請で止む無く南禅寺住持の職を受けました。これが無窓疎石51歳の時。程なく鎌倉幕府が倒れ、新政権が樹立された数日後、南禅寺住持を退き鎌倉の円覚寺に滞在していた無窓疎石に天皇が遣わした勅使が到着します。その時勅命を伝えたのが誰あろう足利尊氏であったところに天龍寺創建の因果の端緒が見えるような気もします。事実その後、袂を分かった尊氏と天皇との間で揺れる無窓疎石は、天皇ではなく尊氏との縁を選択します。そして尊氏の方でも室町幕府で無窓疎石を厚く重用し、暦応2年には天龍寺の開山として彼を迎え入れたのでした。

 

庫裏。玄関正面に置かれた大衝立の達磨図は前の管長である平田精耕老師の筆

 

法堂。中には加山又造画伯の手による新しい雲龍図が展示されています

 

開山となった無窓疎石は天龍寺建立の一大事業に積極的に関わり、その最中において非常に重要な発議をしています。つまり資金調達問題の解決。天龍寺建設に費やされる費用は各地の大名が寄進する荘園でまかなえるような額ではありませんでした。そこで元冦以来途絶えていた中国との貿易を再開することで、その交易から得られる収益を費用に充てることを計画したのです。その計画は見事に当たり、康永元年(1342)に天龍寺船が派遣されると莫大な利益を上げて帰国、その収益を元に建設は進んで、康永4年(1344)に落慶した天龍寺は後醍醐天皇の七回忌でもあるその翌年に無窓疎石の勧めであった落慶供養を執り行いました。

 

その後醍醐天皇が祀られているお堂が多宝殿です。昭和9年(1934)に当時寺の管長であった精拙禅師十方(せいせつぜじじっぽう)が勧進を行い完成させた建物で、堂の中には後醍醐天皇の像が据えられるとともにその両側に歴代天皇の尊牌が安置されています。
建物は前に拝堂をもち、後ろの祠堂とを相の間でつなぐ造り。屋根は銅板葺に半蔀(はじとみ)と呼ばれる建具を取り付けるなど寝殿造を思わせる佇まいが目に彩に映ります。時節には両脇の呉服枝垂梅(くれはしだれうめ)と程よく調和し、春には前庭に咲いた満開の枝垂れ桜も重なって見事な景観を味わうことが出来るでしょう。

 

とはいえ天龍寺の建つ嵐山と言えば何と言っても晩秋の紅葉を抜きには考えられません。
私が取材に赴いた11月13日も大堰川に架かる渡月橋からの眺めが既に琴線に響くほどの盛り近く、背景を秋色に染めた山の連なりが初冬の香る秋風で控えめにその葉を揺らす様はまさに息を飲む美しさでした。その美麗な背景を才に富む無窓疎石が天龍寺の庭園に巧みに取り入れないわけはありませんね。

 

渡月橋からの眺め

 

多宝殿

 

日本で最初の特別名勝であり、かつ世界遺産にも指定された方丈庭園はおよそ700年前に無窓疎石が作庭したとされ、歴史を通じ度々起こった火災や兵火に対してもほとんど変わることなく昔の面影を今に残しています。その広大な天龍寺の庭の中、わけても方丈の西側に広がる曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式庭園の造りが一際目を引きますでしょう。池の岸辺の薄緑の芝生と、ごつごつと極めて硬そうな幾多の岩石が背景の山々と幾千本もの境内の木々に絶妙な色と配置で置かれています。また池の中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とし、これは中国の登龍門の故事になぞらえたものですが、その滝の流れの横に置かれているのが龍と化す途中の姿を現した鯉魚石で、通常滝の下に置かれる鯉魚石とは若干趣を異にしていますので是非見つけてみてください。

 

方丈東側に面した庭

 

方丈西側に面した池泉回遊式庭園

 

池泉回遊式庭園、北側からの眺め

 

同じく境内にある札幌鉱霊神社は炭鉱や鉱山池泉回遊式庭園、南側からの眺め

 

天龍寺は並ぶ伽藍もさることながらやはり境内のほとんど半分を占める広大な庭園が実に見応えがありました。今秋、嵐山へと訪れる予定があるなら、その散策する行程に天龍寺を含めてみるのは、もしかすると最善の選択であるかもしれませんよ。

 

庭園は広大で一周するのに30分ほど時間を要します

 

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アクセス

京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
TEL 075-881-1235
京福電鉄嵐山線「嵐山」駅下車前
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分
阪急電車「嵐山」駅下車徒歩15分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.tenryuji.com/index.html
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