名古屋別院は、京都市の「真宗本廟(東本願寺)」を本山とする真宗大谷派のお寺です。親鸞上人を宗祖とする浄土真宗を教えとしています。正式名称は「真宗大谷派 名古屋別院」ですが、地元では古くから「御坊さん(ごぼうさん)」と親しみを込めて呼ばれており、また、地下鉄の駅名にもなっている「東別院」を正式名称と思っている人も多いようです。
その「東別院」駅の上に、きれいに整備された参道があります。入口に立つ道標に刻まれた「東別院参道」の文字は、親鸞上人の真筆から抽出したものとか。そこから参道を5分ほど歩く間には、6基のモニュメントが並んでいます。釈尊(お釈迦さま)の生涯のほか、インド・中国・日本の7人の高僧と聖徳太子を経て、仏教が親鸞上人に届けられた歴史が描かれ、別院に着くころには「仏教の伝来」について知ることができるようになっています。解説つきなので、読みながら行くと“仏教の基礎”がわかって楽しめるでしょう。
東別院参道。街なかの広い歩道が参道となっている
参道を進むと、はじめに見えてくるのが東別院会館です。ここには、絵画や書道などの作品を展示・販売するギャラリーがあるほか、手話・展示教室や日本語教室などが開かれています。次いで中門、山門。山門は比較的新しく、1968年(昭和43年)に建てられました。最初の山門は1757年(宝暦7年)に建てられ、その後1881年(明治14年)に再建されたものの、1945年(昭和20年)の名古屋空襲によって消失してしまったからです。山門階上には、釈迦如来像、彌勒菩薩像、阿難尊者像が安置されています。
モニュメント。奥に見える建物は、東別院会館
境内は、都心にありながら非常に広大です。もとをたどれば、別院は1690年(元禄3年)、尾張の地に本願念仏の教えを伝える道場として、一如上人(いちにょしょうにん:東本願寺第16代)によって開かれました。そのとき、当時の尾張藩主であった徳川光友から織田信長の父・信秀の居城「古渡城」の跡地1万坪の寄進を受けたのです。しかし、東門や鐘楼などを除いた当時の建物のほとんどは先の山門同様、戦火によって消失してしまい、戦後に再建されました。
現在の本堂も、1962年(昭和37年)に建てられたものです。本堂には普段から自由に出入りでき、間近に本尊である阿弥陀如来(鎌倉時代の仏師運慶の長子・湛慶作)を拝むことがきます。中も広々としており、寝転がって休んでいる人の姿も。冷んやりとして、とても落ち着く空間です。
本堂。残念ながら、御遠忌法要に向けて修復工事中
左奥に見えるのが、本尊の阿弥陀如来
別院の魅力は、地域にしっかりと根付き、多くの人に親しまれているところにあるでしょう。先に挙げたギャラリーや各種教室のほかにも、定期的に法話や講座、奉仕研修、子ども向けの教室などが開かれ、常に人が出入りしています。自ら参加できるイベントが多いのです。
参拝接待所(左)と対面所。対面所で法話を行う
教化センター。2階に仏教図書館がある
洗心道場。週2日、剣道教室が開かれている
1925年(大正14年)に開園した「お東幼稚園」
なかでも盛況なのが、御坊縁日「一如さん」(毎日12日)と「東別院てづくり朝市」(毎月28日)です。「一如さん」では、境内に野菜や果物、植木、衣料品などの露店が軒を並べ、本堂からは正信偈(しょうしんげ:親鸞上人の教え)を唱和する声が聞こえます。年配者が多くを占めますが、学校帰りの高校生もおり、老若男女で賑わいます。一方「てづくり朝市」は、名前の通り、手作りのパンやお菓子、各国料理、有機・無農薬野菜、雑貨などが中心。こちらは若干年齢層が低く、ファミリーやカップル、女性のグループが多く見られました。
活気ある「てづくり朝市」。写真は山門周辺
別院ではこれまで、親鸞上人をはじめ一如上人、中興の祖である第8代蓮如上人の御遠忌法要(ごえんきほうよう)を執り行ってきました。御遠忌とは、50年ごとに行われる宗祖・列祖の法要のこと。来年2016年4月22日(金)〜24日(日)、4月26日(火)〜5月1日(日)には「宗祖親鸞上人750回 御遠忌法要 ともに生きる-いのちのつながり-」が行われます。期間中は法要や法話に加え、さまざまな記念行事が予定されているほか、準備期間中にも講演や講話といった「お待ち受け」行事が盛りだくさん。50年に1度の一大イベントです。この機会に、お参りしてみるのもいいですね。
ナゴヤごえんきキャラクター・オケゾッくん
[su_note note_color=”#f6f6f6″]
アクセス
名古屋市中区橘2-8-55
TEL 052-321-9201
地下鉄名城線「東別院」駅下車、徒歩約5分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.ohigashi.net
[/su_note]