百人一首の世界に浸る「時雨殿」

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時雨殿は2006年、雄大な自然に囲まれた歴史ある史跡の並ぶ一角に建てられました。
百人一首の展示・振興をテーマに、当初はデジタル技術やハイテク機器を駆使した展示が中心でしたが、2012年には館内を大幅にリニューアル。「見て」「感じて」「学ぶ」をテーマに貴重な資料や精巧なジオラマ、人形、そして平安装束の着付体験などから百人一首と平安文化の深く多様な世界に迫ることが出来るようになっています。
 

時雨殿入口

 

葱花輦(そうかれん)。天皇の行幸に用いられました

 

百人一首の撰者は藤原定家。定家74歳の折、嵯峨中院に豪華な山荘を建てた宇都宮頼綱(法名蓮生)の求めに応じて、古今百首の和歌を選び書き送ったのがその起源とされています。
「明月記」によると頼綱に書き送ったそれは、作者名のない自筆の四行書きの色紙でありました。

 

百人一首といえば正月に行われる「かるた遊び」が思い浮かびますね。読み手は歌人の絵がある読札を詠み、取り手は下句だけが書かれた取札を取る。江戸の初期でこそ上流階級の婚礼調度品、女性向けの教育用教材として利用されていた百人一首のカルタは、印刷技術の発展や用途の広がりによって、賭博用の「むべ山かるた」や大衆向けの「版彩色かるた」などのバリエーションを膨らませていきました。その結果、街中で盛んにかるた遊びが行われるようになります。時雨殿でもエントランスに入って向かって左側に、形状や時代で分けられた新旧様々な百人一首カルタを閲覧することが出来ますので、ぜひご覧になってください。

 

入ってすぐにある屏風型のガラススクリーン。百人一首成立の契機などが記載されています

 

100体の歌仙人形。館内ミュージアムショップでもミニチュアの歌仙人形が販売されています

 

さて順路に沿って進んでいくと、館内中央に江戸時代の歌仙絵を元に忠実に再現された100体の歌仙人形が並んでいます。その背後にはそれぞれの歌人が詠んだ歌が色紙に記載されています。色紙はジャンルによって色分けされ、ざっと見渡す限りピンク色した恋の歌が多いことに気付くことでしょう。実際、百人一首のカルタは四季の歌32首に対して恋の歌が43首と、他の歌集と比しても恋の歌に大きなウエイトがかけられているのです。

 

例えば、天徳4年(960年)に村上天皇が主催した天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)でも恋歌が詠まれました。

 

40.
「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで」

 

41.
「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか」

 

時雨殿では歌仙人形の斜め向かいに設置されたジオラマで、当時の歌合の様子を確認することができますが、題を「忍ぶ恋」とし、競合した平兼盛と壬生忠見(みぶ の ただみ)が上記の2首を詠みました。判者は左大臣の藤原実頼。2首とも秀作で終には、その勝敗を決することが出来ませんでしたが、そこへ居合わせた村上天皇が兼盛の歌の冒頭「忍ぶれど」を口ずさんだことで、兼盛が勝者と決まりました。この結果に忠見はたいそう悲観し、食事もとらず、やがて病気となって死んでしまったとの逸話が残っています。

 

百首の歌が掲載された館内用の冊子。英語にも翻訳されています

 

天徳内裏歌合のジオラマ。左右に分かれて優劣を競い合う歌合は、王朝時代の教養ある遊びの1つだったそうです

 

9.
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
小野小町

 

逸話や伝説を多く残した歌人としては六歌仙の一人でもある小野小町も有名ですね。しかし、その生い立ちや経歴は謎につつまれています。古今集では紀貫之(きのつらゆき)より「小野小町はいにしへの衣通姫(そとおりひめ)の流なり」と形容され、生前は絶世の美女として安倍清行(あべのきよゆき)、小野貞樹(おののさだき)、文屋康秀(ふんやのやすひで)らと歌を贈答しあっていたようですが、それも確たるものではないようです。小町にまつわるほとんど全ての事象はぼんやりとしていて、多くは資料や歌集からその容貌、性格を推測し、とりあえずの断定を下さざるを得ません。しかし、その積み重ねた小町への研究はやがて多くの伝説を生み落としました。そして、それら数多くの小町伝説は南北朝から室町時代に発展した能と強く結びつき、大衆に広がったようです。わけても「通小町(かよいこまち)」「関寺小町(せきでらこまち)」「卒塔婆小町(そとばこまち)」「草子洗小町』(そうしあらいこまち)」「鸚鵡小町(おうむこまち)」「雨乞小町」「清水小町」などの謡曲は「七小町」とも呼ばれ、近世の浄瑠璃や歌舞伎に広がり、小町伝説を定着させるのに大きな役割を果たしました。特に「通小町」では小野小町に思いを寄せる深草少将(ふかくさのしょうしょう)の百夜通いのエピソードが有名。想いがあるなら私の元へ百夜毎晩通いなさいと深草少将に伝えるも、その最後の夜に大雪に降られ、深草少将が凍死してしまう。恋に対する小町の注意深さとプライドの高さが伺えるようでもあり、小町像を形作る一つの重要なお話として、今でも多くの人に語りつがれています。

 

謎多き小野小町にまつわる資料がズラリと並んでいます

 

平安期の装束

 

時雨殿では、平成26年3月30日まで「百人一首を彩る女流歌人たち~小野小町とその伝説~」と称し、その企画展が開催されています。絵画に謡曲、歌仙絵と、あるいはまた小町の生きた平安期、女官の着用していた雅な衣装なども展示されていますので、見て回ってあなただけの小町像を想像してみるのもいいかもしれませんね。

 

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●アクセス

京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町11
TEL 075-882-1111
嵐電(京福)嵐山本線 嵐山駅下車徒歩5分
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詳しくは下記オフィシャルサイトをご覧ください。

http://www.shigureden.or.jp/

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