日本人は世界でも有数の魚食民族です。国土の四方を暖流と寒流が交差する海に囲まれ、昔から魚介類が豊富だったことや、長く獣食を忌み動物性タンパク質を魚介類に求めたことがその背景にあります。
魚の扱いに慣れた日本人ならではの、他国の人が真似できない料理といえば、生のまま食べてしまう「刺身」です。醤油が発達してきた室町時代から刺身は登場しました。それ以前は生魚の肉を細かく切り、酢で和えて食べる鱠(なます)でした。
江戸時代初期の料理本『料理物語』によれば魚のほかにキジ、カモなどの鳥類やスッポン、筍なども刺身にしていました。ただ、醤油につけるのでなく、煎酒(酒を煮詰めて濃くし、これに梅干、塩、鰹節、酢で味を調整したもの)や、生姜酢、辛子酢、山葵酢などが用いられていました。
今日のように魚の刺身に醤油をつけ食べることが一般的になったのは、それから200年も後で、野田や銚子で製造された関東醤油が台頭してきてからのことでした。
刺身は生食なので新鮮さが第一。生で食べる方が調理加工するより栄養価も高いので、活きの良い魚が手に入ったら、まずは刺身にするのが当たり前でした。新鮮な魚が入手しやすい日本では、刺身が料理の基準でもありました。
刺身の美味しさは材料の新鮮さと、魚のおろし方で決まるので、初めて入った料理屋を品定めするなら、刺身を試食すれば店の程度や板前の腕がおよそわかるといいます。
日本人が刺身を好んで食べる理由は幾つかあります。
【魚の新鮮さ】
活きの良い魚が手に入りやすいこと。近海なら夜から早朝に獲れた魚が、朝の市場を経ても、昼前には魚屋の店頭に並びます。
【醤油】
刺身に抜群に合う醤油というすぐれた調味料があること。
【調理道具】
包丁やまな板など刺身をつくる道具が豊富なこと。出刃で身をおろし、柳葉でこれを切る。鋭利な刺身包丁から生まれた切り口は美味しさまで左右してしまうほど。
【箸】
刺身の味は繊細なので、食べるにも器用な箸さばきが必要。ナイフとフォークで食べる刺身より、きっと美味しく感じるはずです。
【見た目】
手際よくおろされて、美しい器に威勢のよい姿で盛り付けられ姿には、日本人の粋や食物への感謝の気持ち、自然への畏敬が感じられます。
また、粋さは様々なつくり方を生みました。皮造りに軽く熱湯をかけて湯びきし、軽く火にあぶっては焼霜造り。鯉やスズキは冷水に晒して洗いに。イカなら糸造り、フグやヒラメの薄造りなど。
最近は和食が世界に広がり、生魚を食べなかった中華系の人々にも刺身好きな人がかなり増加中だそうです。刺身にまつわる調理方法や鮮度維持への知恵など、食文化まで少しでも理解されると日本人としては嬉しいですね。
「食と日本人の知恵(著:小泉武夫)」岩波現代文庫