聖徳太子が創建した寺「寂光院」

0

紺の筒袖に白はばきを前で合わせ、手拭をかぶった頭の上に薪を載せた姿がなんともチャーミングな「大原女(おおはらめ)」。薪、柴、炭などの産物を京の街に出て売り歩いていた行商の女性たちです。京都の北東部に位置するのどかな山里・大原では、今も春になると女性たちが当時の装束に身をまとい、行列を組んで練り歩く「大原女まつり」が開催されています。

 

大原は紫蘇でも有名

 

今回訪れたのは、その大原女とも深い関わりがある、寂光院。推古2年(594年)聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立した由緒ある天台宗の尼寺です。
初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照姫(たまてるひめ)で、その後も代々高貴な家門の姫君らがこの寺を守り続けてきました。中でも、第3代の平清盛の息女・建礼門院徳子(高倉天皇中宮、安徳天皇の母)は、源平の合戦に敗れて壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながらこの地で侍女たちとともに隠棲し、晩年を過ごされたことで知られています。その建礼門院に宮中から使えた阿波内侍(あわのないし)が着用していた衣装が大原女の原型と言われているのです。

 

階段を上り、門をくぐります

 

本堂の内陣や柱は飛鳥・藤原様式など古代の様式を改修の度ごとに残しながら後世に伝えられたもので、江戸時代初頭には豊臣秀頼や淀君、徳川家康も再興に手を尽くしました。ところが平成12年(2000年)、不慮の火災によって本堂が焼失し、本尊の六万体地蔵尊菩薩も大きく焼損してしまったのです。現在は修復されて境内奥にある耐火構造の収蔵庫に安置されており、模刻された本尊地蔵菩薩像が新しい本堂に安置されています。
地蔵菩薩の本願は慈悲の心を表わす「抜苦与楽」。人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い、抜け出させて願いを叶えてもらえる諸願成就のご利益があるそうです。艶やかで美しい色合いに思わずはっとします。お堂の中に入ると、お寺の方が分かりやすく説明してくださいました。

 

本堂

 

豊臣秀吉寄進の雪見灯篭

 

本堂前の西側にある庭園は「汀(みぎわ)の池」を中心に、桜や苔むした石などが静かな風情を心地よくかもし出しています。
そして古来より桜と寄り添うように立っていたのが、樹齢数百年になる「千年姫小松」です。

 

 池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる
 中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色

 

と『平家物語』灌頂巻の大原御幸にも描かれ、文治2年(1186年)の春に建礼門院が本堂正面にある翠黛山の花摘みから帰って来て、後白河法皇と対面する場面にも登場する松です。
(残念ながらこの松も桜とともに火災の被害に遭ってしまい、倒木の危険があるためにやむなく伐採され、現在はご神木として祀られています)

 

北側には四方正面の庭があり、背後の山腹から水を引いて、三段に分かれた小さな滝が設けられています。池の周りは回遊方式となっており、本堂の東側や書院の北側など、どこから見ても正面となるように、植栽が施されていました。

 

諸行無常の鐘

 

四方正面の池には鯉が

 

豊かな自然に囲まれながら、いにしえの歴史に思いをはせる贅沢な時間。学生時代に習った『平家物語』を、もう一度読み返してみたくなりました。

 

[su_note note_color=”#f6f6f6″]
アクセス

京都大原 寂光院
京都市左京区大原草生町676
TEL 075-744-3341
京都バス「大原」下車 徒歩約15分
http://www.jakkoin.jp/
[/su_note]