およそ350メートルの参道は並松(なんまつ)と呼ばれる細い松の並木道になっています。
風は心地良く、注ぐ陽光で道には光の斑、歩を進めるごとにまるで足裏からぽかぽか春の気配が染み込んでくるよう。また偶然にも境内の鐘の音が辺り一帯を包んだ頃合でもあり、その深遠の響きを聞いていると遠く1400年前の飛鳥の地を歩いている気さえしてきました。
法隆寺入口
法隆寺の総門である南大門。現在のものは永享10年(1438)に再建されたものです。
法隆寺の歴史は「薬師如来像」の光背銘、並びに「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)」の縁起文に詳しく記載されています。それによると元は用明天皇が自らの病気平癒を願って寺と仏像の造営を請願しました。しかしその実現を見ないままに崩御、のちその遺願を継いだ推古天皇と聖徳太子が推古15年(607年)に寺と本尊の薬師如来を造ったのが法隆寺創建の始まりだとされています。670年には落雷により完全焼失の災厄に見舞われはしたものの、改修大改修を繰り返し今に至る1400年もの長い悠久の歴史をこの地に刻んできました。その重ねた伝統が18万7千平方メートルの広大な境内に広がり、分かれた西院伽藍と東院伽藍にそれぞれ飛鳥時代を始点とする各時代の粋を集めた建物が軒をつらねています。
特に西院伽藍は現存する世界最古の木造建築群として注目を集め、日本は元より世界各国からの参拝者が後を絶ちません。
西院伽藍では数ある建物のうち、国宝の金堂と五重塔が世界的に有名でしょう。場所は中門から左右に伸びる回廊内側の空間に横並びで建てられ、共に威風堂々とした圧倒的存在感を放っています。
南大門を抜けた先の参道。前方に中門。中門の左奥に見えるのが五重塔。
右手が五重塔。左手が金堂。
金堂は入母屋造の二重仏堂で形はほぼ正方形、柱の上に横材を何段も井桁に組んだ飛鳥時代の特徴的な技術を見ることが出来ます。入ると堂内には本尊が安置され、中の間、東の間、西の間とされる位置にそれぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来などが安置されています。仰ぐと天井には鳳凰と天人が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊るされ、内陣の壁面にも世界的に有名な「飛天図」を見ることが出来ます。ちなみにこの「飛天図」ですが、外陣の法隆寺金堂壁画が1949年の火災により焼損した際、別の場所に保管されていたため難を逃れたものであると言われています。
五重塔は木造五重塔としては現存する世界最古のもので、釈尊の遺骨を泰安するため建てられました。塔の高さはおよそ32.5メートルで初重から五重までの屋根の逓減率(ていげんりつ:大きさの減少する率)が高いことが法隆寺五重塔の特徴とされています。最下層の内陣には奈良時代のはじめに造られた塑像群(そぞうぐん)が置かれ、壁面の東面は維摩居士(ゆいまこじ)と文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の問答、北面には入滅した釈尊、西面には釈尊遺骨の分割、そして南面には弥勒菩薩の説法を見ることが出来ます。
大講堂。仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建てられました。
平成10年に落成した大宝蔵院。仏像、壁画など多数の宝物が展示されています。
では次に東院伽藍を見ていきましょう。東院伽藍(上宮王院)は天平11年(739年)、行信僧都(ぎょうしんそうず)が太子をしのんで、その一族の住居であった斑鳩宮(いかるがのみや)の跡に建立したもの。
特に国宝である夢殿が著名でしょうか。外観は瓦ぶきの屋根に四方に扉を設けた八角円堂の形で、643年に蘇我入鹿により焼かれたのち、天平時代に再建されたものです。堂内には聖徳太子供養のため、中央の厨子に太子の等身像とされる救世観音像が安置されています。
救世観音は古来より秘仏として扱われ、長らくその身は白衣に覆われていました。それが明治時代になって岡倉天心とフェノロサが初めてその白衣を取って発見した像だとされています。とはいえ今でも秘仏の慣例は途絶えず、春と秋の一定期間のみしか救世観音像を見ることは出来ませんので注意してください。ちなみに2014年は春季が4月11日から5月18日、秋季が10月22日から11月22日に開扉されるようです。
夢殿
正岡子規句碑。子規がこの句を詠んだ10月26日は柿の日と呼ばれています。
さて、東院伽藍から東大門を抜けた頃、ちょうど法隆寺の遠く深い鐘の響きが再び聞こえてきました。鐘はどうやら2時間置きに鳴らされるようです。参道を歩いていた際に聞いた鐘の音とどこかしら音の色が違っているようにも感じましたが、陽の沈みゆく境内の景観、あるいは空気がそう思わせるのでしょうか。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
言わずと知れた正岡子規の詠んだ句です。境内にはその句を刻んだ碑石が西院伽藍の聖霊院の向かい、鏡池のほとりにひっそりと建てられていますが、碑を見ると「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがなされていました。実際句碑の建つ場所には元々茶店があったようです。ここで一服し柿を食べようとしたところ、子規の耳に法隆寺の鐘の音が聞こえてきのでしょう。子規はその鐘の音に秋を感じたと言います。季節と時間によって鐘の響きのニュアンスが異なってくるのだとしたら、子規が鐘を耳にした時節に寺を訪れるのもまた違った法隆寺の側面を発見できるかもしれませんね。
[su_note note_color=”#f6f6f6″]
アクセス
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
TEL 0745-75-2555
JR法隆寺駅より徒歩約20分、またはバス「法隆寺門前」行きにて法隆寺門前下車
http://www.horyuji.or.jp/
[/su_note]