風雅の極致「銀閣寺(東山慈照寺)」

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銀閣寺は室町幕府八代将軍足利義政が文明14年(1482年)、東山の月待山麓に隠居所として山荘(東山殿)を築いたことに始まるとされています。正式名称は東山慈照寺、義政の法号である慈照院にちなんで名づけられました。一般的には俗称の銀閣寺との呼称になじみがあるのではないでしょうか。ちなみに金閣寺とは異なり銀閣寺には銀箔が貼られていません。実は江戸時代までは特に銀閣寺と呼ばれてはいませんでした。なのに銀閣寺と称される所以は、単に金閣寺と対比して呼ばれだしたということと、焼失した伽藍の再建に当たり、殊更銀をイメージさせるオブジェを造った点が呼称の由来の一端になりました。

 

総門

 

銀閣と錦鏡池。池を正面に銀閣が東向きに建っています

 

豪華絢爛な金閣寺と異なり、銀閣寺は一言で言うと抑制された和の美を表現しています。それはそのまま公武を掌握し絶大な権力を手にした義満とは対照的な義政の控えめな人物像を表しているとも言えるでしょう。義政は幕政に関して完全に無策でありました。
応仁の乱や相次ぐ土一揆、そして凶作悪疫飢饉にも何らの抜本的な対策を取ることが出来ませんでした。この醜態に妻である日野富子からも愛想をつかされる始末で、とうとう文明5年(1473年)には、義政自ら将軍職を辞しています。

 

このように統治者としては落第であった義政ですが、反面文化的な活動に関しては抜群の才覚を見せました。学問や芸術に優れ、和歌や連歌のみならず、建築、作庭、茶の湯にまでその才能を発揮、加えて人の才を見極める力にも長け、身分が低くても優れた才能を持っていれば構わず重要な仕事に重用していました。今に名を残す善阿弥や狩野正信を無名から引き立てたのも義政であったと言われています。

 

ここでは多くの領域にわたり才能を発揮した義政の、とりわけ建築と作庭に絞って銀閣寺の境内を見ていきましょう。

 

方丈

 

銀沙灘と向月台

 

銀閣寺の代表的建築と言えば錦鏡池(きんきょうち)のほとりに建つ銀閣(観音殿)でしょうか。二層構造の木造建築で各層にはそれぞれ部屋の名前が冠されています。初層は住宅風様式の心空殿(しんくうでん)、上層は禅宗様(唐様)の潮音閣(ちょうおんかく)と呼ばれ、その潮音閣の一室には周囲に縁と高欄をめぐらし、観音菩薩坐像が安置されています。唯一現存する室町期楼閣庭園建築の代表的建造物とされていますが、先に述べたように銀箔は貼られていないので、印象としては総じて控えめな佇まいです。金閣の豪華絢爛な印象を引きずっていると、そのあまりの落ち着いた様に少し驚いてしまうかもしれませんね。

 

銀閣を背にして奥へと進んでいくとやがて方丈(本堂)が見えてきます。江戸時代初期,寛永年間の建造物で中には本尊の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が安置されているとともに、南宋画家の与謝蕪村(よさぶそん)、池大雅(いけのたいが)の襖絵も所蔵されています。縁側には多くの参詣者が座り、汗をふき、目の前に広がる銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)に視線を向けていました。銀沙灘の高さは約65センチ、向月台の高さは約180センチで、ともに白砂を盛り上げて造られています。前者が月の光を反射し淡く本堂を照らす役目を持つのに対し、後者は東山に昇る月をこの上で座って待つことに用いられました。この砂盛りがいつ頃造られたのかは分明ではありません、しかしその独創的な作りからおそらくは近世以後の発想、創造ではないかとされています。

 

東求堂。正面上部に義政の筆になる「東求堂」の扁額(昭和4年の複製)が掛かっています

 

洗月泉。山部山畔から流れ下る水を東求堂のある庭へ導いています

 

方丈の横には銀閣同様、東山殿造営当時の遺構として現存している東求堂(とうぐどう)があります。文明18年(1486年)の建造物で入母屋造の檜皮葺き、義政の持仏堂として建立されましたが、様式的には住宅建築の色合いが濃く、中は板敷きの仏間や四畳間、六畳間の部屋に区分けされ、心地の良さから義政はこの東求堂で日常生活を送っていたとされています。東求堂の中でも特に遺構として最重要なのが北東に位置する同仁斎(どうじんさい)でしょう。四畳半の書院座敷としては現存最古のものとされ、義政が書斎として利用していたため部屋の奥には違棚(ちがいだな)や付書院(つけしょいん)が取り付けられています。
なお、この二つの座敷飾りは後に定型化された書院座敷に不可欠な飾りとなっていることから、東求堂は書院造や草庵茶室の源流を成す建物としても知られています。

 

大内石

 

銀閣寺境内の山道

 

銀閣寺には金閣寺のような直接的な派手さがない分、ゆっくり染み込むしみじみとした情緒で満たされていました。どちらを好むかは人それぞれでしょうが、寺へ参る前に、一度義政の人生に触れてみれば、伽藍の配置やオブジェの形にも義政の卓越した世界観が如実に反映されていることに気づくことでしょう。

 

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アクセス

京都府京都市左京区銀閣寺町2
TEL 075-771-5725
京都駅から市バスで「銀閣寺前」下車徒歩5分
四条河原町から京都バスで「銀閣寺道」下車徒歩5分

http://www.shokoku-ji.jp/g_about.html
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