不思議な感覚 北野天満宮

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菅原道真と言えば悲運の最期を遂げた人物として著名ですね。あらゆる才覚に富むがゆえに時の天皇(宇多天皇、醍醐天皇)に重用され、とんとん拍子に異例の出世を遂げていく道真は、妬む左大臣藤原時平の策謀によって九州の大宰府へと左遷されました。結局そのわずか2年後(903年)に道真は大宰府の配所にて無念の死を遂げるのですが、彼の没後、京都では原因不明の疫病がはやります。日照りも続き、落雷などの災害も重なったことで多くの死傷者が続出、これを道真の祟りであると恐れた朝廷は程なく道真の左遷を撤回、罪を赦すとともに官位を復して正二位を贈りました。

 

時を経て天慶5年(942年)、京都の巫女、多治比文子(たじひのあやこ)に突如として道真から御神託が降ります。その神託に基づき僧侶や朝廷が手をつくし、それから5年後の天暦元年(947年)には菅原道真を祀った神殿を建てます。続けて藤原氏も大規模な本殿の造営にとりかかり、この地に一條天皇の勅使が派遣されると、永延元年(987)には国家の平安の祈念と併せて「北野天満宮天神」の神号が認められました。

 

なで牛の像。この姿は道真の遺骸を運んでいる途中、車を引く牛が座って動かなくなったことを由来としています

 

影向松

 

やがて当社から全国各地に勧請が行われ、今や北野天満宮は道真を祀ったおよそ一万二千の総本社となり、全国から多くの尊崇を集めるとともに地元では特に親しみを込めて「京都の天神さん」と呼ばれるなど、身近で愛される神社として北野の地に鎮座しています。

 

北野天満宮、一般には学問の神様の代名詞として有名でしょうか。それを証明するよう、境内歩けば、そこかしこに学問成就にあやかれるスポットが存在しています。中でも境内に十数体ある足を折って座った「なで牛の像」は全国の受験生から厚い信仰を集めているようです。様々な形や色をした牛の頭を撫でると頭がよくなると言われ、牛の首から下がる赤、白、黄色の布には受験生たちの念の込められた願いが記述されていました。
ちなみに牛は北野天満宮の神使いとされています。その理由は「道真の出生年が丑年であるから」とも「道真は牛に乗って大宰府へ下ったから」などとも言われていますが定説はなく、境内に一つだけ存在する立った牛の姿とともに北野天満宮を構成する七不思議の一つとして今に伝わっています。

 

楼門。上部には「文道大祖 風月本主」との額が掲げられています

 

中門。日・月・星が刻まれていることから三光門とも呼ばれています

 

このように学問の神様として名高い北野天満宮ですが、その神徳は多岐にわたり、学問成就以外にも芸能の神、農耕の神、厄除けの神、冤罪を晴らす神としての側面も持ち合わせています。とりわけ和歌・連歌の神としては5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作り、既に15歳で天才と噂された道真の、やがては「文道の太祖・風月の本主」として仰がれたエピソードに裏打ちされています。ちなみに一ノ鳥居を抜けたすぐ先にある影向松(ようごうのまつ)にはこの和歌の神徳に絡み、初冬より晩冬までの間に初雪が降れば、道真が降臨し、雪見の歌を詠まれるという伝説が残っています。そして調べるとどうやらこれも北野天満宮を構成する七不思議の一つとして語り継がれているようでした。

 

本殿

 

御后三柱

 

どこに残りの不思議があるのかと首を巡らせながら、楼門を抜けると視線の先に本殿がないことに気づきます。神社に行き慣れている人であればこの光景にはひどく妙な感覚を抱くことでしょう。通常、本殿は楼門抜けた正面先に建てられるものですが、北野天満宮では、楼門から少し西にずれた位置にあります。代わりに正面にあるのは摂社の地主(じぬし)神社で、その創建は北野天満宮が鎮座する以前の承和三年(836年)と古く、であるから本殿を摂社の正面に置くのを避けたためこうした位置関係になったと伝えられています。

 

歴史を通じ、しばしば兵火によって焼失を繰り返した本殿。現在のものは豊臣秀頼が造営したもので権現造(ごんげんづくり)と呼ばれる構えで出来ています。本殿と拝殿を石の間でつなぎ、全体的には複雑な構造をしていますが、その周囲をぐるりと巡ると北野天満宮ならではといった特異な光景を確認することが出来ます。通常、本殿への礼拝は前拝のみですが、北野天満宮では本殿の裏側にも御后三柱(ごこうのみはしら)と呼ばれる神様を祀っています。御后三柱とはつまり天穂日命(菅公の祖先神)・菅原清公卿(菅公の祖父)・菅原是善卿(菅公の父)の三柱で、昔は、道真への前拝に加えて、背面の御后三柱にも礼拝するのを常としていました。その名残が今でも残っているということなんですね。知らなければ完全に素通りしてしまいそうですが、前面とは打って変わってのひっそりと静かな背面ですからぜひとも礼拝してくださいね。

 

地主社。境内でもっとも古い社です

 

太閤井戸。天正15年に秀吉が催した「北野大茶会」ゆかりの井戸

 

北野天満宮を歩いていると、他の神社では決して感じられないとても不思議な気持ちで満たされます。だからみなさんも当宮7つの不思議をぜひ意識して歩いてみてください。残り3つの不思議も必ずみなさんの胸の内に新鮮な驚きを与えてくれるでしょう。

 

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アクセス

京都府京都市上京区馬喰町
TEL 075-461-0005
京福電車白梅町駅下車 徒歩5分
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