凍れる音楽と三蔵法師の大般若経「薬師寺」

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薬師寺は天武9年(680年)、後に持統天皇となる皇后鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)の病気平癒を祈願して天武天皇が発願したお寺。その後、平癒した持統天皇が天武天皇の寺院造営の意志を引き継ぎ、文武元年(697年)には本尊開眼式を執り行いました。未整備であった伽藍もその翌年にはほとんど完成にこぎつけ、710年の平城遷都の折には諸寺が次々と新しい都へ所在を移す中、薬師寺も養老二年(718年)に現在の右京六条二房の地に伽藍を移し代えました。

 

当時の薬師寺は南都七大寺の一つとして絶大な権勢を誇っていました。
また龍宮造りによる金堂や塔の外観絶美も重なり訪れる参詣者の尊崇を一心に集めていたと言います。ところが天禄4年(973年)の大火災や康安元年(1361年)の大地震によって優美な伽藍は深刻なダメージを受けてしまいます。そして続く享禄元年(1528年)の筒井順興(つついじゅんこう)の兵火にあっては境内並ぶ諸堂のほとんどが失われてしまいました。

 

大講堂。境内伽藍、最大の建造物で本尊には彌勒三尊像が安置されています

 

金堂

 

以来諸堂の再建を続けるも薬師寺を前にした参詣者の感慨は薄く、和辻哲郎などは薬師寺を「雑草が繁り、いかにも荒廃した古寺(「小寺巡礼」より一部抜粋)」と紹介し、亀井勝一郎は「由緒深い寺であるが、崩れた土塀、蔦の絡んだ山門など蒼然たる落魄の有様(「大和古寺風物誌」より一部抜粋)」などと自著に記しています。

 

そうしたこともあって昭和42年、ようやく高田好胤管主(たかだこういんかんず)の手により「薬師寺白鳳伽藍の昭和大復興」事業が遂行されます。やがて写経勧進(しゃきょうかんじん)の全国行脚が実を結び、昭和56年には西塔が復元、昭和59年には中門が、そして平成15年には大講堂が再建され白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)が次々と薬師寺に蘇っていったのでした。

 

西塔。右下に映る歌碑は左が佐佐木信綱、右が会津八一のもの

 

解体修理中の東搭。相輪の頂上に取り付けられた4枚からなる水煙の中には24体の飛天が透かし彫りされています

 

東搭は平成21年より解体修理中。残念ながら覆屋に覆われその姿を現在見ることは出来ませんが、実はこの搭、薬師寺を襲った幾多の災害にも絶えた唯一創建当時より現存している建物なのです。各重に裳階(もこし)を付けているため、一見したところ六重の塔のようにも見えますが実際は三重の塔で、その特異な形と律動的な美しさからいつの頃からか「凍れる音楽」との愛称で親しまれてもいます。向かいに建つ西塔がお釈迦さまの遺骨(真身舎利)を祀っていることから舎利塔と呼ばれているのに対し、この東搭にはお釈迦さまの教えである経典(法身舎利)を祀っていることから経塔と呼ばれています。また金堂の前方東西に二基の塔を並べる当時では全く新しい双塔伽藍の形式を始めて採用したのは薬師寺であることもおさえておきましょう。

 

東院堂。吉備内親王が元明天皇の冥福を祈って、建立しました

 

玄奘三蔵院伽藍・礼門。玄奘三蔵院伽藍は平成3年に建立した新しい建造群

 

金堂は写経勧進により昭和51年(1976年)に再建されました。
二重二閣、五間四面、瓦葺きの建物は各層に裳階が付され、総じて美しい龍宮造りのお堂として建っています。中には本尊の薬師如来座像が鎮座し向かって右には日光菩薩、左には月光菩薩の両立像を従え、これら合わせて薬師三尊像と呼ばれていますが、別名医王如来とも言うよう、古来より人の身を守り心の病気を救ってくれるありがたい仏様として親しまれており、その漆黒の肌に浮かぶ独特な光沢から世界でも最高の仏像であると評されています。毎月8日には薬師縁日・大般若経転読法要が催され、その日は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がインドより持ち帰って翻訳したとされる大般若経を僧侶が転読します。

 

この大般若経を今に伝えた玄奘三蔵ですが、日本では西遊記に出てくる三蔵法師として御馴染みな仏法僧ですね。3万キロにも及ぶ道のりをおよそ17年の歳月を費やし踏破、仏像・仏舎利の他、仏経原典657部を携え、貞観19年(645年)にようやくインドから長安の都に帰ってきました。44歳になっていたといいます。玄奘三蔵は持ち帰った仏典の翻訳に残りの全生涯を賭けます。そうして62歳で没した玄奘三蔵の翻訳した経典の数は最終的には1335巻にものぼり、うちその約半数の600巻を占めていたのが日本で最も読誦される般若心経の基となった大般若経だと言われています。
それ以前の翻訳を全て旧訳(くやく)とし、以後を新訳として区別するほど玄奘三蔵の翻訳は当時では大変画期的なものであったようです。

 

玄奘塔

 

大唐西域壁画殿

 

その玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利として奉安する玄奘塔(げんじょうとう)や、平山郁夫がおよそ30年の月日を費やし完成させた大唐西域壁画を絵身舎利として祀る大唐西域壁画殿が白鳳伽藍を出た道向かい、玄奘三蔵院伽藍を構成するお堂として建っています。いずれも玄奘三蔵の艱難辛苦に満ちたエピソードをふまえた上でご覧になられたのならば、胸の内に染み入る機微も味わい深いものになるに違いありません。

 

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アクセス

奈良県奈良市西ノ京町457
TEL 0742-33-6001
JR奈良駅、近鉄奈良駅より、六条山行バスにて「薬師寺」下車すぐ。
近鉄西ノ京駅 徒歩1分
http://www.nara-yakushiji.com/
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