神田を持つ皇大神宮(内宮)の別宮「伊雑宮(いざわのみや)」

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伊勢神宮を参拝するなら立ち寄るといいと友人に勧められたこともあり、外宮参拝の後でひと足伸ばして伊雑宮(いざわのみや)を訪ねました。「いぞうぐう」「磯部の宮」とも呼ばれています。

 

皇大神宮(内宮)の別宮で、御正宮の「わけみや」であり、御正宮に次いで尊いお宮なのです。皇大神宮には10ヶ所の別宮がありますが、伊雑宮はその一つです。

 

伊勢市駅から近鉄の普通列車に乗り、のんびり1時間ほど揺られて最寄りの上之郷駅に到着しました。古くから皇大神宮の遙宮(とおのみや)と称せられているように、確かに内宮からは少し離れています。

 

伊雑宮正面入り口

 

伊雑宮は今から約2000年前、第11代垂仁天皇の頃に創立されました。皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が皇大神宮へ奉る御供物を採る場所の御贄地(みにえどころ)をお定めになるため志摩の各地を巡られました。その際に、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が奉迎して、この地に当宮を創建し、皇大御神の御魂をおまつりしたと伝えられています。

 

小さな無人の上之郷駅に降り立つと、こんもりとした森が見え、そこが目的の場所だと直観しました。外宮の界隈は参拝者も多く、駅からの参道にも飲食店やお土産物屋などが立ち並び、観光地のような賑わいがありました。それに比べて駅から伊雑宮へと続く道は、民家が寄り添うだけの小さな集落を通過するだけ。参拝者も少なく、コンビニもなく全く観光化されていなくて、のんびりした穏やかな時間が流れていました。

 

最寄りの上之郷駅は各駅停車だけが止まる無人駅

 

境内は広くはないのですが、大木が多く清浄な空気に包まれている感じがしました。古代の森へとショートトリップしたかのような、不思議と懐かしい気分になりました。

 

緑豊かな境内

 

斎館の前で見つけた堂々とした楠

 

短い参道を進むと天照大神をお祀りする本殿が見えてきました。こちらも遷宮したばかりで、森の緑を背景にお宮の白木が美しく映えています。人影もまばらでしたので、ゆっくりと参拝が出来ました。

 

本殿

 

境内の隣りにある駐車場の先には御神田が広がり、その前に鳥居がぽつんと立っています。ここでは毎年6月24日、「伊雑宮御田植祭(いざわのみやおたうえまつり)」が行なわれます。午前10時から午後5時過ぎまで、古式に則り笛や太鼓のお囃しのなか、苗が手際よく植えられていきます。日本三大御田植祭りのひとつで、重要無形民俗文化財にも指定されています。

 

御神田の前に立つ鳥居

 

御神田から伊雑宮の森を望む

 

参拝の後、駅へ向かう道で不思議なことに気がつきました。もう2月というのに、あちこちの家の軒先に注連縄(しめなわ)が飾られているのです。伊勢神宮のお膝元である伊勢では、一年を通して店先や民家の玄関軒先に注連縄を飾る風習があるのだそうです。

 

これが伊勢型の注連縄

 

伊勢型の注連縄には「蘇民将来子孫門」の伝承があります。
伊勢の地を旅していた須佐之男命が、夕暮れになり泊まるところがなく困り果てていました。この地には将来兄弟という二人が住んでいました。大変裕福な弟の巨旦将来に宿泊を相談したところ、断られてしまいました。その兄である大変貧しい暮らしをしていた蘇民将来は、この頼みを快く引き受け、貧しいながら出来る限りでもてなし、無事に一夜を過ごすことが出来ました。須佐之男命はこれをいたく喜び、一宿の恩返しとして茅の輪を与え、「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に付けたる者は、難を逃れるであろう」と言い残しました。以来、蘇民家は、後に疫病が流行ってもそれを免れて、代々栄えたといいます。この故事にあやかり、「蘇民将来子孫家門」の守り札をしめ縄に付けて、一年中飾り、無病息災を願う風習が今に受け継がれています。

 

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アクセス

三重県志摩市 磯部町上之郷374
TEL 0599-55-0038(伊雑宮宿衛屋)
近鉄志摩線上之郷駅下車徒歩約3分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.isejingu.or.jp/
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