楠木一族を祀る神社「湊川神社」

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幕府を討ち倒し、天皇を中心に据えた政治を実現するため、元弘元年(1331)に後醍醐天皇が楠木正成を呼びよせたのは、彼の武将としての力量を高くかっていたがゆえなのでしょう。実際、天皇が隠岐島へと配流になった後にもそれに臆せぬ正成は北条氏率いる幕府軍と対峙しては、破竹の勢いで勝利をおさめ続けたといいます。

 

表門

 

その正成の目覚ましい戦いぶりに諸国の武士も蜂起、やがて幕府軍を掃討すると、京へと戻った後醍醐天皇の元で「建武の中興」と称された天皇親政の政治が執り行われる運びとなりました。

 

参道

 

ところが望まぬ形で新体制に従っていた武士の類は徐々にその天皇中心の政治に不満を募らせゆき、とうとう建武2年(1335)にはその憂さが暴発。元々天皇側で幕府を倒したはずの足利尊氏が謀反(中先代の乱)をはかり、武家中心の政権を取り戻すべく行動にうってでたのです。

 

しかし、ここでも天下の大武将である正成が大活躍、京都を占領した尊氏を、わずか半月という短期で討ち倒します。からくも九州に落ち延びた尊氏でしたが、劣勢を挽回すべくこの地にて大軍を味方につけます。やがて山陽道を鬼神の如く東上する尊氏に不吉な予感を覚えた正成は、今の状況では到底尊氏には勝てない、和睦するかいったん都を捨てて後に兵糧攻めで対峙するかのいずれかを後醍醐天皇へ進言します。

 

ところがこの進言を天皇ははねのけ、専権にておよそ10万の軍勢を率いた尊氏を湊川にて迎え撃つことを決しました。その折の朝廷方の軍勢は、尊氏のそれのおよそ20分の1程度であったと言われています。

 

青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ
                    「桜井の訣別 第一節」

 

湊川神社の御祭神である楠木正成は、智・仁・勇の三徳を兼ね備えた聖人と称されています。そのゆえは上記の武功や明晰な頭脳からも推し量れるでしょうが、後に能や唱歌の題材となり、今では「桜井の別れ」とも呼ばれるようになったエピソードからもその評を垣間見ることが出来ます。

 

勝ち目のない戦に死を覚悟した正成は湊川の戦場へ向かう道中桜井にて、当時11歳であった嫡子の正行を呼び寄せると突然「お前を河内へ戻す」と言いました。むろん父と共なる死を覚悟していた正行は堰をきって反論します。しかしそれを遮るように「お前を戻すのは自分が討ち死にした後のため。忠心を忘れず、帝に尽くして、いつの日か必ず朝敵を打ち滅ぼせ」と毅然に述べたあと、その形見としてかつて天皇より下賜された菊水の紋の刻まれた短刀を正行に渡し、その場を後にしました。結局それが正行の見た尊父の最後の後ろ姿となってしまいました。

 

殉節地

 

墓所。墓の裏面には明の遺臣朱舜水(いしんしゅしゅんすい)の作った賛文(さんぶん)が刻まれています

 

正成は尊氏の大軍と16度にわたる激しい戦の末、延元元年(1336)5月25日、弟の正季らと共に「七生滅賊(しちしょうめつぞく)」を誓って自害したのです。その地はちょうど湊川神社の境内北西隅に位置し、今では周囲を塀で囲んだ殉節地として存在しています。

 

過去多くの偉人が湊川神社を訪れ、この殉節地に正成の影を重ねました。そしてあの徳川光圀も忠君に貫かれた正成の生き様に感銘を受けた者のうちの一人でした。正成の顕彰のための建碑を思い立った光圀は、佐々介三郎宗淳(現在は水戸黄門の助さんとして知られる人物)や廣嚴寺(こうごんじ)の僧侶の千巖(ちいわ)の助けを借りるなどして、元禄5年(1692)に正成の墓碑を完成させます。墓の表には孔子が季札の墓に刻んだ碑文を参考に「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」との文字を光圀自身の手で刻みました。

 

徳川光圀の銅像。その頌徳碑は徳富蘇峰(とくとみそほう)の筆

 

その墓碑は今でも境内東南の隅に木陰をまとってひっそりと建ち、明治維新の前後にはこの墓前に坂本龍馬や高杉晋作、吉田松陰に大久保利通など日本の再生を願う錚々たる志士が訪れ深く頭を下げたと言います。そうした彼らの熱烈な尊崇は一般の民をも巻き込み広がって、その潮流を無視できなくなった政府は明治元年(1868)に、明治天皇が正成の忠義を後世に伝えるを旨とする湊川神社の創建を命じるに至りました。

 

よって、ここは比較的生まれて間もない神社となっています。表門から伸びる100メートル程の参道の先に建つ社殿も、鉄筋コンクリート製で戦後の新しい神社建築様式を現しています。その内部には三つの扉があり中央には楠木正成、向かって右の扉には正成の夫人で左のそれには子である正行と弟の正季の他、関係する複数の一族が祀られています。参拝することで特に合格祈願、厄除け、交通安全のご利益があるようですので楠木一族のパワーを感じながら境内をゆっくり歩いてみてはいかがでしょう。

 

社殿。現在の殿は戦災により焼失したものを、昭和27年に復興新築したもの

 

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アクセス

兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1-1
TEL 078-371-0001
JR神戸線「神戸駅」から徒歩3分
阪急・阪神・山陽各電車「高速神戸駅」下車すぐ

詳しくは下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.minatogawajinja.or.jp/
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