妊婦の必須アイテム『鐘の緒』 ~エスカレーターの架かるお寺から~ 「中山寺」

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中山寺の創建は推古天皇の御代(600年ごろ)、四天王寺を建立するべくその適した土地を探していた聖徳太子が、すでに亡くなっていた大仲津姫の「北に紫の雲のたなびく地があるゆえ、そこに寺を建てて亡き人々をお祀り下さい」との声に従い、大仲津姫とその二人の子である香坂(かごさか)皇子と忍熊(おしくま)皇子を祀ったことに始まるとされています。

 

山門。1646年に徳川家光の寄進により再建されたもの

 

古来より、歌舞伎や謡曲でたびたび物語られてきたためか、時代を通じて庶民の認知はもとより、武家からも大いなる信仰を集めてきました。わけても皇室による尊崇は並ならぬものがあり、実際、幕末期には中山一位局が明治天皇懐妊の際に、安産祈願で中山寺に訪れたエピソードが今に残っています。そのことからこの寺は現在、日本唯一の明治天皇勅願所として、加えて安産救子に一際ご利益のあるお寺としても全国にその名を発信しています。

 

時代をさかのぼればあの豊臣秀吉も寺に参拝し、子である秀頼を無事授かったとされています。その時秀吉の前に鎮座していたのが寺の本尊である十一面観音菩薩像。インドのアユジャ国の王妃であった勝鬘(しょうまん)婦人が、仏教を学んだ末、女人救済の願いを込めて、自身19歳の等身像を造り上げました。頭の上に十一の顔を併せ持ち、世の憂いや苦しみを取り除いてくれる優しい観音様であることから、古来より女性の信仰も深かったようです。目下、安産のご利益を大いに授けてくれるこの観音様は毎月18日のみ、その姿を私たちの前に現してくれます。

 

観音様へ直に参拝出来ない場合は、同じく中山寺の安産の象徴ともなっている「鐘の緒」を是非試してみてください。鐘の緒とは女性の出産無事安泰を祈念する「安産の腹帯」のこと。古くより寺にある霊験あらたかな腹帯で、境内では本堂左手前の安産祈祷受付で買い求めることが出来ます。

 

しかし考えてみれば腹帯がなにゆえ鐘の緒と称するようになったのか気になるところですよね。せっかくですからその確立のエピソードを少し確認してみましょう。
平安時代の頃、多田城主であった源行綱は世継ぎを願い一心に中山寺へ参っていました。ところが対照的に不信心であった妻をある日に花見に誘った中山寺で、突如として突風が吹き荒れると、飛んできた麻の鐘の緒(鐘を鳴らすもの)が妻に巻きつき締め上げたものだから、行綱が観音様に助けを請うべく泰仁阿闍梨に祈願してもらったところ、絡みついた鐘の音がしだいに解けた。この一件で妻は自らの不信心を反省、やがては子も出来て以後は夫婦仲良く円満に暮らしたというお話。これが後世に伝わり、当初はお守り代わりとして麻の緒を、後には祈願済みのさらしを巻いて安産の腹帯としたのでした。

 

本堂。堂の前には自分の身体の悪い所をさすると病気が治るとされる「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」が据えてあります

 

鐘の緒を受け取ったならば、広大な境内に据えられた安産にご利益のあるスポットを巡ってみましょう。本堂から一番近い場所では子授け地蔵に水掛地蔵、その水掛地蔵から西にしばらく歩くと見えてくる阿弥陀堂横の「安産手水鉢」。この安産手水鉢は忍熊皇子の遺体を納めた舟形石棺であるともされ、中世以降ではどれほど難産に悩む者でも、観音様に願いを込めてこの手水鉢で身を洗い清めれば安産が叶うとの伝説が残っています。残念ながら現在、水は溜められておらず、手水鉢の機能は果たしていませんが、歴史的には非常に重要な遺構なのでその気配だけは体に染み込ませておきましょう。

 

水掛地蔵

 

子授け地蔵

 

安産手水鉢

 

「亥の子地蔵」は大地を包蔵する意を持つ菩薩のこと。現世に生きる人々は元より、冥界で苦しみ続ける人々も救済する仏として古来より厚く信仰されてきました。特に釈迦入滅から次代を担う弥勒が出現するまでの無仏の期間に六道に輪廻して苦しむ人々を救済してくれる地蔵としても有名です。またこの亥の子地蔵に関連し、毎年旧暦10月の亥の日に「亥の子まいり」と呼ばれる催しが開かれます。猪の多産にあやかり、亥の子餅を食べて子孫繁栄を願う、そして稲穂を使ったほうきで地蔵を掃き清める行いでは、後に頭痛や肩こり、腰痛、リュウマチ改善の功徳をもたらしてくれるようです

 

亥の子地蔵

 

ところで、中山寺との名を聞いてふと妙なひっかかりを覚えました。記憶を探れば確か長谷寺の開山である徳道上人が蘇生後、閻魔より授かった法印を初めて納めた場所がこの中山寺でした。これが西国三十三カ所巡礼の端緒となったわけですが、実際、中山寺は日本で最初の観音霊場として知られています。加えて西国三十三所の第24番札所の証としては寺の山門に聳える仁王像の前に巡礼の安全を祈願して奉納された草鞋がたくさん結ばれていました。これには強さの象徴でもある仁王像に自分の足腰がこの長い旅に耐えきれるようにお願いする意があるようです。

 

閻魔堂。毎年2月と8月には「地獄の釜が開く日」と称し、特別な法要が行われます

 

白鳥塚古墳。中山寺境内にあることから別名中山寺古墳と呼ばれることもあります

 

その山門へ向かってエスカレーターで降りゆく妊婦さんや、降りた先の広場で大道芸を見ながら幸せそうに微笑んでいるファミリーの姿が、春の陽光で一際美しく見えたのが印象的でした。

 

本堂へ通じる石段とエスカレーター

 

梅林

 

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アクセス

兵庫県宝塚市 中山寺2-11-1
TEL 0797-87-0024
阪急宝塚線 中山観音駅から徒歩1分、JR宝塚線 中山寺駅から徒歩約10分
詳しくは下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.nakayamadera.or.jp/
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