日本の伝統衣裳・着物の美しさを再認識でき、日常ではまったく目にする機会もない武家、皇族の衣裳を見ることができる博物館が、青梅市にあります。
築200年ほどになる蔵を増築した木造家屋の民家風情が残る青梅きもの博物館は、のどかな町並みと馴染んでいて、館内に入る前からタイムスリップしたかのような懐かしい気持ちにしてくれます。
中庭の緑も楽しめる「青梅きもの博物館」
元梨本宮家の衣裳が展示されている展示室
青梅きもの博物館で所蔵しているのは、宮廷衣裳や時代衣裳の数々です。たとえ日本史に精通していたとしても、衣裳はあまりに縁のないもの。丁寧な説明書きがあるものの、はじめて聞くような名前の衣裳と、実際に着用されていた状況がイメージできずに戸惑うばかり。でも! こちらではたいていの場合、学芸員さんが来館した人に解説をしてくれるので安心です。
今から約100年前の大正4年、皇族が集まり、大正天皇の即位式が京都御所の紫宸殿(ししんでん)で行われました。その即位式に出席された元梨本宮ご夫妻の衣裳が、博物館には展示されています。
明治維新後は公服に洋服が取り入れられたので、日本古来の宮廷服が一般的に着られることはなくなり、即位大礼の際や祭儀のみとなりましたが、展示されている大正天皇の即位式のときに着用されたという衣裳は、明治天皇の勅令によって、平安の古式にのっとって製作されたものです。
皇室ゆかりの品々が並ぶ浜尾記念室
美智子皇后お手製の服は、しっかりした縫製とデザインに驚きます
気になるのは、やはり女性の衣裳ですよね。元梨本宮伊都子妃がどんなものをお召しになったかというと、「五衣小袿(いつつぎこうちぎ)」という衣裳です。宮家だけが着用していた二重織物の衣裳で、梅の地文に、青の“鶴の丸 (=JALのマークといえばわかりやすいでしょうか)”の上文がはいっています。二重の織りの技術があることを知らないと、梅の文様の生地の上に、JALマークが刺繍されているのかと思ってしまいます。
このように、皇族の衣裳は織りのものが主流ですが、約300年前の江戸時代の武家の婚礼装束を展示しているスペースには、織りのものはなく、見事な刺繍の衣裳が並んでいます。現代の私たちは、織り、染め、刺繍、どの着物もすべて着ることができますが、学芸員さんの解説によると、昔は“公家は織り、将軍家は刺繍、町方は染めの衣裳”というおおよその枠組みがあったそうです。着物を見れば、どんな立場の人なのかが一目瞭然だったということです。
豪華刺繍の武家の婚礼衣裳の展示室
松竹梅に鶴亀の刺繍が艶やかな婚礼衣裳
刺繍の豪華な武家の婚礼衣裳には、さまざまな文様が刺繍されています。その中で印象的だったのが“松竹梅”の文様です。文様にはすべて意味がありますが、松竹梅にはどんな意味があるかご存知ですか? おめでたい文様? 確かにおめでたい文様ですが、本来の意味は少し異なります。
松=まつ=待つ
竹=かぐや姫が出てくる=子宝
梅=うめ=産め
以上の理由から、子孫繁栄の願いが込められた文様でした。結婚すると、すぐに世継ぎの誕生を切望する社会だった昔、婚礼衣装にもその願いが込められていたのです。松竹梅の文様の着物や帯は現代でもあり、年齢を問わず、お正月やおめでたい席で見かけますが、古来のこうした意味合いを考えると、若い女性の着用がふさわしいということになりますね。
平成5年にご結婚された皇太子ご夫妻の婚礼衣裳(複製)も展示されています
博物館には元東宮侍従で、昭和26年から46年まで浩宮徳仁親王(現皇太子殿下)と秋篠宮殿下にお仕えされていた浜尾実さんが寄贈された天皇家から御拝領の品々を展示している「浜尾記念室」もあります。
皇太子殿下が幼少の頃に着用していた美智子皇后お手製の洋服が展示されているほか、皇室の慶事の際に引き出物として下賜されるボンボニエール(銀製の菓子器)のコレクションも豊富です。
美術品として見ても価値ある日本の伝統衣裳である着物の美しさと、手仕事のすばらしさに触れに、ぜひ青梅きもの博物館へ行ってみてくださいね。
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インフォメーション
青梅きもの博物館は、貴重な宮廷衣裳や時代衣裳を収集、展示している博物館です。収蔵品は500点にのぼり、3か月ごとに展示替えを行っています。元東宮侍従の浜尾実氏から寄贈された皇室ゆかりの品々が展示されている「浜尾記念室」も常設展示しています。
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●アクセス
東京都青梅市梅郷4-629
TEL 0428-76-2019
JR青梅線「日向和田駅」より徒歩15分
詳しくは下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www3.kitanet.ne.jp/~kimono/oume/index.html
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