よろいを付けた武人の埴輪。
周囲のマンション群と
対照的なたたずまい
大阪と京都の中間にある高槻市。緑や川に恵まれ、落ち着いた空気がある住宅地です。
もともと一帯は、江戸時代に栄えた城下町で、下町の情緒が残る商店街や、古墳や遺跡、社寺などが点在しており、市内外から史跡を散策しに訪れる人もいます。
団地に囲まれた新池遺跡には、日本最古、最大級の埴輪工場の跡が残っています。今は公園として整備され、西暦450年頃の埴輪作りに使われていた窯や工房を復元したものを自由に見学することができます。
池沿いの遊歩道には復元された埴輪が立ち並び、その光景は、埴輪がこの地に眠る歴史を護り、敬虔の念を今に伝えているかのようにも感じられます。
埴輪が並ぶ散策路
埴輪工場跡があるのは、団地に囲まれた公園
古墳の大きさは大王の権力を示すもの。埴輪は、王の墓から邪悪なものを追い払い、聖域をつくりだすものとして、古墳の上や周囲に並べられていました。
この工場は、西暦450年頃から太田茶臼山古墳や今城塚古墳に立てる埴輪作りのために操業していたことがわかっています。ここから約2キロの場所にある今城塚古墳は、聖徳太子の曽祖父にあたるといわれる継体大王の陵墓です。全長350メートル、二重の濠がめぐらされた巨大な古墳を完成させるには、数千の埴輪が必要でした。この工場には全国から専門の職人が呼び寄せられ、その指導のもとで毎日100人以上が働いていたことがわかっています。古墳そのものも、すべて人の力で造られていたのですから、この古墳造りに関わった人の数は数えきれないほどでしょう。
成形した埴輪を焼く窯(復元)
工場内最大の窯は、発掘された状態のまま保存されています
埴輪には、弥生時代の器台が発展した円筒埴輪や、巫女、人や馬などの生き物、武具の形をした形象埴輪があります。円筒埴輪は、供え物をのせる台から発展した形だと言われており、墓室を囲むように置いたり、葬送の儀式に使ったりしていたようです。形象埴輪は、王に仕える人々や動物、王を守るための物を表しています。太刀を持った武人、神に仕える巫女の姿など、当時の生活が見てとれることから、史実をたどる重要な文化財でもあります。
犬を連れた狩人の姿
朝顔形の円筒埴輪
人や動物の姿をした埴輪の表情は一様に穏やかに見えますが、ふと悲しげな印象を受けることもあります。
古墳時代の文化や歴史は未だ謎が多く、実際にはどのような思いで埴輪や古墳がつくられ、出来上がった古墳を人々がどんな思いで見つめていたかはわかりません。しかし、これほどまでに人々が忠義を尽くした大王とはいったいどんな人物だったのでしょう。つい埴輪に聞いてみたくなります。
大王級の古墳造りに寄与したとされる埴輪工場の跡は、日本ではここでしか発掘されていません。そのためか、ビジネスの成功を願って今城塚古墳やこの工場跡を訪ねる人もいるそうです。目に見えぬ大王の力が宿るこの公園を、ゆっくりと散策してみてはいかがでしょう。
手綱や鞍を付けられた乗用馬の埴輪
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アクセス
ハニワ工場公園
大阪府高槻市上土室1丁目
TEL 072-695-8274(管理事務所)、072-682-0820(今城塚古代歴史館)
JR東海道線「摂津富田」駅からバスで約20分
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