数多くの伝説を訪ねて「清水寺」

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京都東山の音羽山中腹に建つ清水寺へ続く幾つかの通りは、どこも緩やかな坂道になっています。とりわけ五条坂、清水坂あたりは古来より清水寺の門前町としてたくさんのお店が軒を連ね、訪れる人々で常時賑わいを見せていたといいます。実際、私が取材に向かった日も平日でありながら、周囲は冬の乾いた寒風を跳ね返すほどの活気と体温で、衣服も髪をカンザシで結わえた着物姿の女性や、袖の羽織をまとった男性が下駄をならして歩いている姿が見られ、古風な通りに人がよく溶け込み溌剌とした印象を受けました。

 

清水寺周辺には古風なお店や家屋が軒を連ねています。

 

仁王門。軒下の「清水寺」の額は、平安時代の名書家、藤原行成の手によるものとされています。

 

人群れの間をぬい、時に道脇の土産屋の扇子や茶碗や染め物を見ながら清水寺までのおよそ1.2キロの坂を登りゆくと、やがてくねる道の先に丹塗りされた巨大な仁王門が唐突にその姿を現します。清水寺の正門でもあるこの仁王門はその色から別名「赤門」とも称され、現在のものは応仁の乱により焼失したのち、15世紀末に再建されたものです。幅は約10メートル、奥行きが約5メートル、棟高が約14メートルとかなりスケールの大きな造りになっていて、門の両脇にも高さおよそ3.6メートルにも及ぶ、京都で最大とも称される寄木造の仁王像を見ることが出来ます。

 

さらに仁王門前の狛犬にも注目してみましょう。一般的に狛犬の造りは口を開けた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)とで対になっているのが常ですが、清水寺の狛犬は両方とも口を開けた阿形になっています。一説には長い坂を昇り、歩き疲れた参拝者の注意を引き元気を回復させるためといった理由があるようですが、確たるものではなくまた定説もないことからその造りは今に至るまで謎に包まれています。

 

仁王門前の狛犬。東大寺南大門にある狛犬をモデルにして造られました。

 

善光寺堂の首ふり地蔵。恋を成就させたい方は是非。

 

清水寺にはこうした謎や伝説で満ちた構造物が非常に多く、それらはまとめて清水寺の七不思議として伝えられています。例えば仁王門をくぐってすぐ左手に見える鐘楼の柱の数。一般的には梵鐘は4本の柱で支えるものですが、清水寺では6本で支えています。また清水寺境内善光寺脇にある首ふり地蔵では、なぜかその首が360度回転します。実はこれ、恋する異性の方向に首を振り向け祈願すると、願いが叶うと言われているとてもありがたいお地蔵さんなんだそう。さらには有料の本堂では入ってすぐ左手長押の貫の木目に沿って続く深く抉られた筋状の傷が確認できますが、これは弁慶が人差し指で刻んだもの(弁慶の爪痕)だと信じられています。またその一方で他説においてはお百度やお千度詣りにやってきた参拝者が本堂を巡る際に手にしていた数取の串や樒(しきみ)でつけた傷ではないかとも言われているようです。

 

鐘楼。2.03トンもの重い梵鐘を吊るために6本の柱で組まれています。

 

弁慶の爪痕。深い筋状の傷が本堂をぐるりと巡っています。

 

本堂を奥に進んでいくと山の斜面からせり出すように作られた清水の舞台が見えてきます。錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り(かけづくり)」という手法で建てられた木造建築でその高さは4階建てのビルと同様なのだそう。驚くべきは面積およそ190平方メートル、410枚以上の板を敷き詰めた桧舞台を釘など一切使わず支えていること。優れた技術は時として最大のミステリーとして立ち現れるものですが、まさに清水寺の舞台はその形容にふさわしいのではないでしょうか。ちなみに「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」の語源の由来ともなったこの場所は元来観音様に芸能を奉納する舞台として用いられ、古くは平安の頃より雅楽や能や歌舞伎に相撲などが執り行われてきました。そして現在でも変わらず重要な法会には、この場所で舞台奉納が行われ、また毎年12月12日の奥の院で発表される「今年の漢字」決定の瞬間には多くの人で舞台は賑わいます

 

清水の舞台。昔は舞台から飛び降りた人もたくさんいたようです。

 

ぬれて観音。水を観音様にかけることで、煩悩や罪障が洗い流されるといわれています。

 

舞台より眺める京の絶景から視線を下に転じてみれば、音羽の滝に長蛇の列が出来ていました。それもそのはず音羽の滝はパワースポットとして全国的に知名度が高く、実際、3本に分かれて落ちる音羽山からの地下水を柄杓に汲んで飲むことで「延命長寿」「恋愛成就」「学問上達」のご利益があるとされています。ただし3つの水を同時に飲むことは厳禁とされています。いずれか一つを選択し、かつ一口だけ飲むのが流儀とされているようですので注意してください。またこの音羽の滝の名水は寺名の由来にもなっていますね。古くは「黄金水」「延命水」などと呼ばれていたのが、一般に普及し「清めの水」として知られるようになってからは寺の名称を「清水寺」と改めました。さらに「清水寺縁起」でも水と清水寺の関連を知ることが出来ます。賢心(けんしん)が、清泉を求めて、金色の水流をたどり、清水寺創建の発端となる行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会ったその場所も音羽山麓より流れ落ちる大きな滝の前だと言われています。そう考えると梟の手水鉢や水子観音、ぬれて観音など境内至る所に水と関わる置物が充実している疑問も納得できますね。

 

音羽の滝、水を求めて並ぶ人々。

 

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アクセス

京都市東山区清水1丁目294
TEL 075-551-1234
JR京都駅から市バス206系統・東山通北大路バスターミナルゆき、100系統清水寺祇園 銀閣寺ゆきで五条坂下車、徒歩10分
他に京阪電鉄・七条駅や阪急電鉄・河原町駅からもバス便あり

http://www.kiyomizudera.or.jp/
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