炎熱に消えた高塔「相国寺」

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相国寺の創建は、永徳2年(1382)に室町幕府3代将軍足利義満が花の御所の隣接地にかねてより思い描いていた一大禅宗伽藍を建立することを発願したことに始まるとされています。その本尊は釈迦如来で開山は無窓疎石、その弟子である二代目開山春屋妙葩(しゅんおくみょうは)は漢詩文学に長けていたとされ、加えて今に名を残す如拙や雪舟など、相国寺で学んだ著名な文人、画家が後にこの寺より多く輩出、やがて五山文学の中心地としておおいに栄えた相国寺は今でも広大な境内に13の塔頭寺院と金閣銀閣の山外塔頭を有する京都五山第二位の寺格として堂々とした威容を保っています。

 

総門。焼失復興を繰り返し現在の建物は寛政9年(1797)のもの

 

放生池に架かる天界橋。季節によって池中に舞妃蓮、翡翠蓮などの花を咲かせます

 

調べてみると創建時、相国寺の規模は475万平方メートルにも及んでいました。境内には法堂や方丈、講堂や鐘楼に加えて楼門や三門、仏殿に七重塔など実に50あまりの一大伽藍群が建ち並んでいたようです。それが現在、広大であるとはいえ、往事のサイズの36分の1の規模に縮小されているのはどういった経緯があったのか。

 

奈良の興福寺と同じく、相国寺も歴史を通じひどい災禍に見舞われることの多い寺でした。大小あわせてもその数実に17回。資料によれば伽藍の完成した明徳3年(1392)からわずか2年後の応永元年(1394)には早くも直歳寮(しっすいりょう)から出火した火が伽藍のことごとくを焼き尽くしています。応永10年(1403)には落雷で七重塔が焼失、その後再建されるも文明2年(1470)には再び雷で全焼し、それ以後は結局再建されることはありませんでした。
ちなみにこの七重塔、史上最も高かった日本様式の仏塔と称され、その全高はなんと109メートルに達していました。木造建築物の中で現在日本一の高さを誇るあの東寺の五重塔ですら55メートルですから、この高塔が当時恐るべき技術と執念で建築されたことが伺えますね。

 

この七重塔の他、天明の大火で焼失した三門も再建されぬまま今に至っていますが、その跡地には現在数個の礎石だけがひっそりと据えられています。またそこから南に参道を挟んで隣接する池には一本の石橋が架かっています。この橋は「天界橋」と呼ばれ、天文12年(1551)にはこの橋を挟んで細川晴元と三好長慶が戦う形となりました。天文の乱(石橋の乱)と称されるこの激しい戦乱により仏殿が焼失し三門同様再建されず現在は赤松林の中にその影を忍ぶのみとなっています。

 

三門跡

 

北に視界を向ければ赤松林の枝葉に重なる形で法堂が建っているのが見えるでしょう。相国寺法堂は明徳2年(1391)の建築物で、4度の火災による焼失に見舞われるも、そのたび復興を繰り返し今の建物は慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進によるもの。日本にある禅宗様の法堂建築としては最大かつ最古を誇り、乱により焼失した仏殿の機能を兼ねていることから殿内には本尊の釈迦如来とその両脇に阿難(あなん)と迦葉(かしょう)が祀られています。その天井には狩野光信筆の「蝶龍図(ばんりゅうず)」が描かれ、特定の場所で手を打つと反響して音が返ってくるため別名「鳴き龍」とも称されているようです。

 

法堂の東と北にはそれぞれ開山堂と方丈が建っています。開山堂はその名の示すように初代開山である無窓疎石の木造等が祀られています。ちなみにその開山の選定に際しては以下のエピソードが今に伝わっています。初代開山である夢想疎石ですが相国寺が創建された頃にはすでに亡くなって30年程が経過していました。実は元々その初代には相国寺建立に尽力した春屋妙葩を予定していたのです。ところが尊崇する師を想い、義満の強い懇願にも首を一向に縦に振らない妙葩は最終的に条件として疎石を開山の始祖とするなら二代目として相国寺の開山を受け入れるとしたのです。心温まるお話ですね。

 

方丈も例にもれず4度の焼失を繰り返しそのたび再建されてきました。今の建築物は文化4年(1807)の再建。中は南に3室と北に3室の合わせて168畳、各部屋は襖で仕切られ、そこには原在中(はらざいちゅう)筆の中国菩陀洛山図(ふだらくせんず)や仙人図などが描かれています。

 

法堂

 

方丈

 

なお開山堂には禅宗の庭としては珍しくも異相の異なる二つの庭が一つに同居する「山水の庭」と「枯山水平庭」が広がり、また方丈にも「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」を現す白砂を配しただけのシンプルな前庭と、無限の広がりを感じられる裏庭とそれぞれに禅の教えを現す景観が広がっています。毎年特定の時期に公開され、開山堂は秋(9月25日から12月15日)に、方丈は春(3月24日から6月4日)と秋に開放されますので、ぜひとも見頃をはかって相国寺を訪れてみてはと思います。

 

参道。どこか妙心寺の参道と似た気配を感じます

 

瑞春院。作家の水上勉は長年この寺で修行していました

 

天響楼。平成22年に日中友好の記念として鋳造された新しい鐘楼です

 

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アクセス

京都府京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701
TEL 075-231-0301
地下鉄烏丸線「今出川」下車徒歩5分
京都駅から京都バス45系統「烏丸今出川」下車徒歩5分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.shokoku-ji.jp/
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