伝説に彩られたお寺 ~頷き阿弥陀と鎌倉地蔵~ 「真如堂」

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真如堂の創建は永観2年(984)に延暦寺の僧であった戒算上人(かいさんしょうにん)が、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来立像を東三條女院の離宮があった現在の地に移して安置したことを始まりとしています。正式名を鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺と称し、その名の由来は「数多くある極楽寺の中でこのお寺こそが正真正銘の極楽を示す」とあって、それを証明するよう過去にあっては浄土宗の法然上人や浄土真宗の親鸞聖人から深い帰依を受けた他、庶民や行者からも深い信仰を集めるなど一条天皇の勅願寺、そしてまた不断念仏の道場として大いに衆目を集めていました。

 

興味深いのは当時女人禁制を敷くお寺が大勢の中、とりわけ女人からの信仰が厚かった点。
そのゆえは本尊に安置された阿弥陀如来(善光寺、嵯峨清涼寺と共に日本三如来の一つ)が通称「頷きの阿弥陀」と呼ばれるようになったエピソードに隠されていることが分かりました。

 

総門。赤門とも称され、敷居がないのは神様が寺に訪れた際につまづかないためとされています

 

参道

 

作者とされる慈覚大師が30歳を過ぎた頃、或る夜に根元を光らせた霊木を見つけ、即座に割ってみれば、座像と立像の阿弥陀形立像が現れたために、大切に自坊へ安置(座像は後に阿弥陀如来坐像として日吉大社念仏堂の本尊となる)。加えて後に留学した唐からの帰り道では、波間からまたも香煙に包まれて小身の阿弥陀如来が現れたために祈りながらそれを袖に包んで帰国。その後、安置していた霊木と併せて阿弥陀如来立像を完成させ、それに向かって「修行者を守護して下され」と念じると首を横に振り「女性をお救い下され」と念じれば頷いたというお話。そのエピソードが方々に伝わり、時代を通じ、東三條院はもとより日野富子や桂昌院など名だたる女性たちが真如堂に参詣したといいます。

 

調べてみると真如堂はこうした不思議な伝説のとても多いお寺であることが分かりました。
例えば阿弥陀如来の脇立の不動明王像は安倍晴明の念持仏とされていますが、安倍晴明が逝去した際、不動明王が彼の呪力を惜しんで閻魔大王に蘇生させるようお願いしたところ、衆生の民を救うことを条件に晴明がこの世に甦ったというお話が今に伝わっています。
本堂にはその様子を描いた「安倍晴明蘇生図」が保管され、加えて真如堂に代々伝わる「結定往生之秘印」という印紋は晴明が生き返る際に閻魔大王より授かったものだとされています。

 

本堂の向かいには宝暦年間(1751~1763)建立の三重塔が建っています。文化14年(1817)に再建後、昭和9年に修理が加えられ今に至っています。高さはおよそ30メートルで京都府の文化財に指定され総じて古い面影を残した本瓦葺の建築ですが、その脇のお堂には「日本三大悪妖怪」とされる歌舞伎でも有名な「玉藻前(狐が化けたという伝説上の絶世の美女)」のお話の後日譚と深く関わりのあるお地蔵さんが立っています(ちなみに他二人は「酒呑童子」と「崇徳上皇」)。つまり「玉藻前」のラストで描かれた「殺生石」が玄翁(げんのう)和尚の手により叩き割られた後、割れたその石の破片で地蔵菩薩を刻み、鎌倉に小さなお堂を建てるとそのおよそ300年後の江戸時代初期には、この地蔵を厚く尊崇していた甲良宗廣(こうらむねひろ)の夢の中に地蔵が現れ「私を衆生済度の霊場である真如堂に移しなさい」とのお告げをくだしたために宗廣が地蔵を鎌倉から真如堂に移したとのこと。真如堂の地蔵が鎌倉地蔵と称されている所以はまさにこの「玉藻前」の後日譚に由来していたのですね。

 

三重塔と花の木。今は冬枯れていますが3月下旬には直径2~3ミリの真紅な美しい花を咲かせます

 

本堂。本堂の前に植えてあるのはたてかわ桜

 

以上のような数ある伝説を彩るのは真如堂境内に咲き誇る季節の花々です。
春は桜やつつじ、夏は紫陽花や木槿(ムクゲ)で、秋にはモミジや楓が境内を赤く色づけます。取材に赴いた2月10日にも所々に水仙や万両の冬の花が咲いていましたが、特に本堂から回廊を渡った先の書院の庭には目もくらむような景観が広がっており、わけても「隨縁の庭」と「涅槃の庭」が一際視線を引きつけます。

 

「隨縁の庭」は2010年に重森千青によって作庭された比較的新しい庭で、パッと見た限りとても奇抜なデザインが施されていることが確認出来るでしょう。聞けばモチーフとして背後にある仏堂(位牌殿)の蟇股に付けられた四つ目の家紋に因んで作ったとのこと。その名の隨縁とは「事象が縁に因って様々な現れ方をする」ことを指すのだそうです。

 

伝教大師巡錫之像。最澄が東国を巡っていた時の姿をイメージして作られました

 

隨縁の庭

 

「涅槃の庭」は1988年に曽根三郎によって作庭されました。そのモチーフはお釈迦さまが自らの死を予感した際、弟子に向かって述べた「2本並んだ沙羅の樹の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ」との言葉に由来しているようです。それを現すかのように右脇を下に横たわるお釈迦さまの回りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子が石組や白砂や植栽によって巧みに表現されています。背景の連なる東山と併せて眺めてみれば尚更その雄大な景観が身体に染み入ることでしょう。

 

涅槃の庭

 

鐘楼堂。鐘の内側に、その寄進者の名が彫られています

 

水仙

 

万両

 

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アクセス

京都府京都市左京区浄土寺真如町82
TEL 075-771-0915
阪急四条河原町駅前 京都市バス5系統、17系統に乗車 「錦林車庫前」または「真如堂前」で下車、徒歩約8分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://shin-nyo-do.jp/
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