女人高野に建つ我が国最小の五重塔「室生寺」

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続日本紀によれば室生寺の創建は宝亀年間(770~80)、後の桓武天皇である山部親王(やまのべしんのう)の病気平癒のために浄行僧5人が室生龍穴において延寿の法を修し、それによって山部親王の病が回復したために、浄行僧最高責任者であった興福寺の僧賢璟(けんぎょう)が朝廷の命を受けて、後にこの室生の霊地に寺院を創ったことに端を発しています。

 

賢璟は早くから建立の目的を山岳修行の拠点を設けることに定めていました。したがって延暦2年(793)に賢璟が没した後も、彼を慕う弟子の修円や堅彗(けんね)が室生寺の創建事業を引き継ぎ、興福寺の庇護の下、山岳修行の拠点をもうけるため五重塔や弥勒堂などの各種伽藍を整備していきました。

 

ところが、真言密教の儀式を執り行う灌頂堂(かんじょうどう)や弘法大使を祀る御影堂が建てられた鎌倉時代中頃になると、室生寺は徐々に密教色を深めていき、興福寺勢力の衰えが顕著となる元禄時代には綱吉の母である桂昌院(けいしょういん)や真言僧隆光(りゅうこう)の庇護もあって興福寺から独立、代わって真言宗の寺院として弘法大師への信仰を強めていきました。

 

その信仰者の性別を見てみると、男女分け隔てなく、広く万人の参詣を受け入れていたようですね。一方で例えば同じ真言密教を信仰する高野山では少し事情が異なり、厳しい女人禁制を敷いていたこともあって、明治37年(1904)になるまで女性がその門をくぐることは出来ませんでした。それは一つに性に対して徹底した自戒がなければ僧侶の加持祈祷、神通力が及ばなかったと考えられていた点、あるいはもっとシンプルにその修行場であるところの山岳地帯が女性の体力的な部分でネックになっていたからだとも言われています。

 

いずれにせよ古来より女人禁制であった高野山と比べられることの多かった室生寺はいかなる時でも女性に門を開いていることより、いつの頃からか女性も参れる山とする通称「女人高野」の異名を持つようになったのでした。

 

「女人高野、なんと美しい響きをもつ名前だろう」
                     澤田ふじ子「女人の寺」

 

実際のところ、境内に建ち並ぶ堂塔は大寺院の壮観な伽藍とは異なり、どこか可愛らしい柔らかさを持った外観となっています。とりわけ木部を朱塗りにした五重塔は必見でしょう。800年頃に建てられた奈良時代末期の建築物で、基壇を含む全高が16.1メートルと、奈良時代に造られた通常の五重塔の3分の1の高さしかありません。むろん屋外に建つ木造五重塔の中では最も小さく、法隆寺五重塔に次いで国内では2番目の古さを誇ってもいます。また初重の1辺の長さは2.5メートルととても小ぶりなために従来初重から五重に向かって屋根は次第に小さくなるものが、室生寺のそれは一番下と上とでその大きさはほとんど変わりません。そして通常あるはずの「水煙(すいえん)」が、室生寺のそれにはなく、代わりに壺の形をした宝瓶(ほうびょう)が飾られ、伝わるところによれば、修円がこの宝瓶に室生の竜神を封じ込めたという伝説が今に残ってもいるようです。

 

五重塔。平成10年の台風で大きな損傷を受けましたが平成12年に修復、落慶

 

鎧坂

 

更に女人高野を散策しましょう。
門前の通りに軒を連ねた茶店や旅館は幾重もの歴史を匂わせ、静寂にせせらぐ室生の川音は、架かる朱塗りの太鼓橋を通して足裏から古の旅情を身体に響かせます。
参道に入り、仁王門を抜ければ濃い緑の室生山(標高621メートル)に「鎧坂」と称する石段が続き、その両脇を春には淡紅色の花を咲かせる石楠花(しゃくなげ)が彩る辺りで、正面上方に視線が捉えるのは坂の頂部にひょっこり姿を現す金堂です。

 

太鼓橋

 

仁王門

 

金堂は五重塔に引き続き建てられた建築物で、元は薬師堂と呼ばれていたのが、元禄期に真言宗専修となってからは金堂と称されるようになりました。平安時代前期の山寺としては唯一の遺構とされる極めて貴重な建物となっています。その金堂を横目に山を石段づたいに登って行くと、灌頂堂、また少し登って五重塔、その脇から境内奥へと続く参道に足を運べばやがて苔の張りつめる巨木の鬱蒼と繁る無明谷が現れ、架かる無明橋を渡ると、急に上へと続く石段の傾斜が鋭くなり、顎をめいっぱい空に向けても先が全く見通せません。繁茂するシダの群落を切り開くように続く傾斜を一歩一歩踏みしめるように登っていくと、ようやく標高450メートルに位置する奥の院が見えてきます。

 

金堂。中には釈迦如来立像や十一面観音像などが安置されています

 

灌頂堂。中には本尊である如意輪観音菩薩像が安置されています

 

奥の院には常燈堂や御影堂、その側の岩肌の露出した頂上部には七重塔が置かれていますが、この七重塔の置かれた岩場は古来より諸仏出現の地である禁足地とされ、おおいに信仰を集めてきたようです。常燈堂から標高450メートルの眺めも堪能していると、膝が笑い、なかなかその場を動けない私をよそに奥の院で活発にシャッターを切っている幾人かの女性参拝者がとても印象深く映りました。

 

奥の院へ続く席壇。途中に架かっているのが無明橋

 

御影堂と七重塔。中には弘法大師四十二才の像が安置されています

 

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アクセス

奈良県宇陀市室生78
TEL 0745-93-2003
近鉄室生口大野駅から室生寺前行きバス 終点下車徒歩5分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.murouji.or.jp/

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