四方を海に囲まれた島国日本。その周辺の海には海藻が育つのに適した地形や海流があるため、海藻の豊富さは世界一と言えるほど。当然、日本人の賢いご先祖様たちはその海藻に早くから目をつけて食用、薬用、肥料などと利用してきました。
その歴史は古く、万葉集には海藻を焼いて塩をとる風景を歌ったものが幾つかあり、食生活に大事な塩の供給も、大昔は海藻からでした。
ホンダワラやアジモなどの藻類を浜に積んで、これに何度も海水を注いでは乾燥させ、それを焼いて灰塩(はいじお)を作りました。この中には塩のほかにカリウム、ナトリウム、マグネシウム、ヨウ素などが豊富にあり、農業(肥料)や工業(糊材)、食用として様々な方面で活用されてきました。
日本の海で獲れる海藻のうち、食用は70種以上。コンブ、ワカメ、フノリ、トサカノリ、エゴノリ、モズク、アオサ、ミル、メカブ、ヒジキ等々。そして、これらの海藻を用いて乾燥海苔、佃煮、酢の物、汁もの、出汁、刺身のつま、ふりかけ、寒天といろいろな形で食してきました。中でも乾燥海苔は現代人にも非常に身近な海藻の加工食品の一つです。
和定食、おにぎり、巻物寿司などで食べることも多い乾燥させた海苔ですが、私たちが目にする板状の海苔は、最初からあの形で海から収穫されるわけではありません。
古くは天然のものを収穫していましたが、江戸時代になると養殖技術が確立し、東京湾で採れた海藻のムラサキノリを和紙の製紙技術を用いて紙状に加工するようになりました。当時の品川や大森あたりの海岸で採れた海藻が、浅草で加工や販売されたことで「浅草海苔」として有名になりました。
しかし、海苔の原料となる海藻の生態は未解明な部分も多く、かなりの部分を経験則に頼っていたため生産高が不安定なことから「運草」とも呼ばれていました。
その後、昭和24年(1949年)に英国のドリュー女史が海苔の糸状体を発見、それまで不明だった海苔のライフサイクルが解明され、不確実な天然採苗に代わる人工採苗を実用化し、養殖が可能な地域が拡大して生産高が増えました。
海苔は、海の中の栄養成分がギュっと濃縮した結晶のような食品です。特に、日頃不足しがちなビタミン、ミネラル、食物繊維がたっぷりと含まれています。
例えば、ほうれん草に代表されるビタミンAが海苔には含まれています。髪の健康を保ち、視力の低下を防ぐといった効果があります。このほか12種類ものビタミンが含まれています。一般に、ビタミンCは熱に弱いため調理すると栄養素が破壊されてしまいますが、海苔に含まれているビタミンCは熱に強く、焼いても栄養素が壊れないのが特徴です。
海苔の1/3は食物繊維でできています。食物繊維は野菜に多く含まれますが、海苔の食物繊維は野菜に含まれる食物繊維と違い柔軟で、胃壁や腸壁を傷つけることなく穏やかな整腸作用があります。またこの種の食物繊維は細菌による腸内でのビタミン合成にも役立っているともいわれています。さらに、腸内の有害なアミンや有害金属の除去にも有効といいます。
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【参考資料・web】
「食と日本人の知恵(著:小泉武夫)」岩波現代文庫
佐賀県有明海漁業協同組合HP
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