静岡県浜松市の中心部にある浜松城に行ってきました。浜松城といえば、徳川家康や水野忠邦など歴代城主が出世したことから、別名「出世城」として知られています。
城を囲む土台は苔むした石垣の曲輪(くるわ)で、重厚感があり力強さを感じました。石垣は浜名湖や佐鳴湖(さなるこ)の水路を使い、山々から運ばれた自然石でできています。石の形を生かして上下に積み上げられたこの「野面積み(のづらづみ)」という技術は、江戸時代初期までよく用いられていました。見た目にはすき間がたくさんあるのですが、内側には小石や砂利が丁寧に詰められています。そのため、水はけがよくて頑丈なのだそうです。
残された石垣に「浜松城」の新天守閣が再建されました
石段を登ったら右に曲がり、さらに180度左に曲がらないと天守閣に入ることができない造りになっています
明治維新後、城郭は壊され荒廃していましたが、1958年(昭和33年)、旧天守台の上に新天守閣を再建、翌年には浜松市の史跡に指定されました。天守の中は現在、資料館として使われています。往時の浜松城ゆかりの品々を見学しましたが、徳川家康が天下統一を成し遂げるまでの苦難の生涯を知ることができました。
家康は1570年から1586年までの17年間を、この浜松城で過ごしました。29~45歳のこの時期、家康は戦に明け暮れました。とりわけ最大の敗戦といわれている1572年の三方ケ原合戦では、語り継がれる伝説に家康の凡人離れした人柄を垣間見ることができます。
天守台地下1階にある当時の井戸
勝ち草と呼ばれためでたい羊歯を手に持っている「若き日の家康像」
武田信玄の軍勢3万、対する家康勢は1万。これでは勝てないと命からがら浜松城に逃げ帰った家康は、大胆にも門を開け放しました。その解放された門を見て、罠でもあるのかもしれないと思った武田軍は引き返したそうです。そして、家康は負け戦で憔悴した自分の姿を絵に残し、生涯の戒めにしたといいます。
天守閣の展望台からの眺めは絶景です。晴れた日には東に富士山、西に浜名湖、南に遠州灘、北に三方ケ原を見ることができます。今は眼下に浜松市街が広がっていますが、江戸時代の城主の気分になって見渡してみると、また違った景色が見えてくる気がしました。
三方ヶ原合戦から帰城した家康が鎧をかけた「鎧掛松(3代目)」
浜松城公園の「大滝」は日本庭園の中心的存在です
「安政年間の古図」と現在の地図が重ねられたパネルを見ながら、浜松城跡のある浜松城公園を歩いてみました。天守曲輪の跡が残る公園は東から西へだんだんと高くなり、「本丸」「二の丸」「三の丸」の城跡が印されていて、当時の情景が頭に浮かんできます。公園の北側にある日本庭園も風情があり本格的です。
浜松城公園を歩くと戦国時代をとても身近に感じられました。公園を散策し終わる頃には、周辺に点在している徳川家康ゆかりの地に足をのばしてみたくなりました。
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アクセス
静岡県浜松市中区元城町100-2
TEL 053-453-3872
JR浜松駅より遠鉄バス乗車、「市役所前停」下車、徒歩約6分
http://www.hamamatsu-navi.jp/shiro/
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