日本で初めての密教寺院「東寺(教王護国寺)」

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東寺駅へ向かう電車の窓から群を抜いて突き立つ五重塔が見えてきます。高さおよそ55メートル、木造建築物の中では日本一の高さを誇る国宝東寺の五重塔はその景観があまりにも壮大であるがゆえ、少し前までは京都でこれ以上の高さの建物を建ててはいけないという決まりもあったほど。それを証明するかのようにおよそ1200年の歴史を有する五重塔は今でも京都のランドマーク、シンボルタワーとして多くの人から注視の眼差しを集めています。

 

五重塔。内部の壁や柱には曼荼羅や真言八塑像が描かれるなど、密教世界が広がっています

 

南大門。この南大門から真っ直ぐ直線で金堂、講堂、食堂と続いています

 

その五重塔に着手(826年)する少し前の弘仁14年(823年)、空海は嵯峨天皇より東寺を下賜されました。それまで平安鎮護のための官寺として建設が進められていたのが、空海に託されたことで東寺は真言僧のみの根本道場、また日本で初めての密教寺院として並ぶお堂の役目が変更されていきます。

 

「喚起にたへず 秘密の道場と成せり。努力、努力」

 

9世紀日本における密教環境は乏しく、曼荼羅や法具はもちろん、難解な経典を後世に伝える師の存在もいなかったことで、一子相伝とも言うべき密教の教えはなかなか正式に根付かない状況にありました。これに危惧を抱いた空海は船に乗りこみ海を越え、命をかけて渡った唐で後に師となる恵果(けいか)と出会って学んだ密教を携え日本に戻り、幸い託された東寺を拠点として密教を伝播させようとしたのです。なお上記の言葉は空海が嵯峨天皇より東寺を託された際の随喜。ここに至るまでの背景を考えるとシンプルな言葉にも並々ならぬ重みが感じられるものです。

 

実際、伽藍の配置はそれぞれ密教思想に元づき、さながら境内はそのまま曼荼羅、そこから様々なメッセージを読み取ることが出来ます。例えば南から北へ金堂、講堂、食堂(じきどう)の順に一列に配された伽藍。その意を空海は「金堂で薬師如来(仏)に出会い、講堂で二十一尊の教え(法)を聞き、聞いた教えを食堂で僧に出会って実践する」としました。つまり「仏」が説く「法」を「僧」である人が実践する、という意味を境内広く利用して表現しているのです。講堂と食堂の間が少し離れているのは仏の教えを理解するには時間と経験が必要であることを表すためだとも。

 

金堂、東寺の本堂です

 

講堂。東西255メートル、南北515メートルの境内ちょうど中央に位置しています

 

金堂は東寺の数ある堂の中でも最も早くに創建された建物で空海が嵯峨天皇より下賜された頃にはすでに完成していたと推測されています。文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失、その後、長らく再建はされずに、慶長8年(1603年)になってようやく豊臣秀頼の発願により再興されました。堂内には本尊の薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されています。

 

講堂は天長2年(825年)空海の手により着工、承和2年(835年)頃には完成したとされていますが、大風や地震などで幾度か大破改修を繰り返し、文明18年(1486年)に生じた土一揆の戦火では大きな被害を受けました。その後再建され、現在の講堂は延徳3年(1491年)の建物となっています。堂内入ると須弥壇(しゅみだん)に密教本尊の大日如来を初めとした21体の仏、これは空海が唐より持ち帰った曼荼羅をより明確に密教の世界が伝わるようにと二次元の絵の世界を三次元に再現したものだと言われています。

 

食堂。かつて足利尊氏も居住していたお堂です

 

桜と背後にそびえる五重塔

 

食堂は空海没後の9世紀末から10世紀初め頃にかけて完成したと推定されていますが、文禄5年(1596年)の地震で倒壊。寛政12年(1800年)になってようやく再建されるも昭和5年(1930年)の火災で再び焼失し、現在の食堂は昭和9年(1934年)に建てたもの。食堂は真言の僧が共に食事をなす場所、であるとともに修行の場でもあることから僧は比較的複雑な作法に則り食事をとる必要があります。よって食事作法に不慣れな僧がようやく食事をとる頃には出された食物がひんやり冷めていたなんてことがよくあるよう。食事はあくまで修行を続けるための「じきじ」であり、腹を満たして悦に浸れる「しょくじ」ではないのですね。

 

八重紅枝垂れ桜。弘法大使の「不二のおしえ」から不二桜とも呼ばれています

 

御影堂。大師堂とも呼ばれています

 

さて最後に、かつて空海の住房としていた御影堂(みえいどう)で毎朝行われている法要をご紹介しましょう。東寺では朝六時になると決まって鐘が10回鳴らされます。その後、弘法大師(空海)像の前に一の善(朝食)、二の膳(昼食)、そして僧の読経を挟んでお茶が差し出されることになっています。これは「生身供」(しょうじんく)と呼ばれるもので季節の別なく、実に約1200年もの間、ほとんど休むことなく続けられている法要。毎朝時間になると、厚く大師を信仰する参拝者が西院の唐門前に集まります。さらに聞けば通勤通学で東寺の境内を抜けていく人も多く、となれば金堂、講堂、食堂、御影堂と、毎朝その脇を通ることで日常何がしかの恩恵を授かっている人も中にはいるのかもしれませんね。

 

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