芭蕉の誤算「紀三井寺」

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紀三井寺(きみいでら)の創建は奈良時代にさかのぼります。
宝亀元年(770)、厳しい航海を経て我が国へ渡ってきた唐僧の為光上人(いこうしょうにん)は、辛労辛苦に悩み苦しむ人々を仏の教えで救うべく、全国行脚の旅をしていました。その途上、現在紀三井寺が建つ名草山の頂から一筋の強い光が発せられているのを見るや感嘆し、夜が明けてから自ら山を登ってその霊光の源を探ってみれば、大きな松の根元に光り輝く千手観音の姿を見つけました。

 

楼門。室町時代永正6年(1509)年建立

 

これに驚いた為光上人は「この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なり」と痛感し、さっそく十一面観音菩薩像を彫刻して草堂を造って安置。これが紀三井寺創建の起こりで平安期には後白河法皇が当山を勅願所と定めたゆえに寺はおおいに隆盛を極め、庶民は元より歴代天皇の参詣の場になるとともに、江戸時代にあっては紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山したこともあって、後には別名「紀州祈祷大道場」と称されるようになりました。

 

結縁坂

 

正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院ですが、全国的には紀三井寺としての名が一般的でしょう。その名の由来は「紀州にある三つの井戸のある寺」からきており、実際標高228メートルの名草山に広がる境内各所には今でもこんこんと湧き水の満ちる三井が点在しています。

 

吉祥水は楼門前の小道を北へ数100メートル向かった先のやや小高い位置にある井戸から湧き、古くは瀧のぼりの清水として親しまれてきました。楊柳水は楼門を抜けて石段を中腹まで登りそこから南へ50メートルほど進んだ先にある井戸から湧き、古くは飲む人々を病から救ってくれる水として重宝されてきました。この2つの水は歴史の変遷で昭和初期には荒廃し見るも無残な様相に零落していたようですが、それも今では復興され、最後に紹介する清浄水と共に昭和60年、環境庁が発表した「日本名水百選」に選ばれる栄誉に授かりました。

 

吉祥水

 

清浄水については、上人が寺を開き、大般若経六百巻を写経し終った時、上人の前に現れた乙姫が竜宮で説法をお願いした後に清浄水へ姿を消したお話から、その源流は竜宮城に繋がるものだとの言い伝えがあります。加えて、昭和天皇が皇太子であった頃、誉れ高い清浄水を用いて料理を調理されたなどの逸話も残るため、長らく味噌や醤油などの醸造家の間ではこの霊水を汲んで仕込みを行っている風習が続いているようです。

 

楊柳水

 

清浄水。茶の湯、お華の水としても使用されています

 

夏場はこれらの名水で喉を潤しながら境内を歩くと良いでしょう。とりわけ楼門から231の急な石段が続く結縁坂を登る際は水分補給と相応の準備は必須です。取材時にはこの急激な傾斜を老若男女が疲労を感じさせない足取りで登っている光景が殊に印象的でした。
さながら坂を登る個人を特別なパワーが後押しているかのような。

 

あまりにそれが顕著に現れるので坂の歴史を調べてみれば、江戸時代にこの坂が由縁で一つの愛が実り、一つの商いが大成功を収めていることが分かりました。母を背負い、坂を登っていた紀ノ国屋文左衛門は、登板中に切れた草履の鼻緒をすげ替えてくれた玉津島神社の宮司の娘オカヨと結婚、後にオカヨの親である宮司の出資金で商売を始めた文左衛門は舟を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送ることで豪商に成長しました。この恋愛成就と商売繁盛のご利益を授けてくれる結縁坂を大事な人と一緒に登ることで愛は固まり、隠れた生命力もドラマチックに動き始めるのかもしれません。

 

坂を登り切ると、南の新仏殿から北の本殿へ向かって参道が伸びています。その東側には寛延年間(1750年頃)建立で西国三十三カ所の本尊を祀る六角堂や天正16年(1588)建立で鐘楼建造物の白眉とされている鐘楼が建ち並び、西側には近世においてあの天橋立に匹敵すると言われた和歌の浦の雄大な景観が望めます。とりわけ春先は群青の海と純白の空にピンク色の桜が溶け込んで至高の芸術を魅せてくれるでしょう。

 

実際、時節には本殿前のソメイヨシノを始め約500本の桜が境内を優雅に咲き染めて「近畿地方に春を呼ぶ寺」としての紀三井寺には3月から4月にかけて遠方から多くの参詣者が訪れます。実は江戸の俳人松尾芭蕉もその一人でありました。貞享5年(1688年)に桜の名所として聞き及んだ紀三井寺を芭蕉は訪れています。ところが彼の見上げた瞳に映ったのは既に枝に花弁の絶えた木々でした。その折、無念の思いから一句詠んだ碑が清浄水の脇に据えられています。

 

みあぐれば 桜しもうて 紀三井寺

 

芭蕉の句碑

 

芭蕉の彫像。裏門から入り坂を少し登った位置にひっそりと据えられています

 

紀三井寺は早咲き桜の名所として有名なお寺でした。私もやや遅きに失し、木々の枝には花弁がほとんど散っていました。それでも裏門から寺を出る頃には満願の想いでいられたのは、一重に風に遊ぶ桜の一枚一枚が、既に鮮やかに敷き詰められた花道へとしっとり落ちていく絵に深く心を動かされたからに他なりません。そう考えると桜に誤算を感じたはずの芭蕉の彫像にもかすかながら恍惚の色が浮かびあがってくるように感じられました。

 

六角堂。初代・二代目雑賀弥左ェ門によって建てられました

 

本堂。江戸時代宝歴9年(1759)に建立
 

参道

 

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アクセス

和歌山県和歌山市紀三井寺 1201
TEL 073-444-1002
JR紀三井寺駅下車徒歩10分

詳しくは下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.kimiidera.com/
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