「醍醐寺縁起」によると貞願寺に寄宿していた真言僧の聖宝(しょうぼう)が東方に連なる山々に幻想的な五色の雲がかかっているのを見て、即座にその山へと向かってみれば、頂付近の谷あいにとある一人の不思議な翁(横尾明神)が現れました。感ずるところあり聖宝がその翁へ仏道修行の拠点となる土地を探しているのだと伝えると「自分はこの山の地主の神であり、この地に精舎を建てかつ仏法の興隆に勤しむならばあなたにこの山を進上し、自らは守護神となるだろう」と言いました。
総門
その示現に従い、聖宝はその翌々年には堂宇を建立、その中へ准胝、如意輪の両観音像を安置した後、寺名を山の名にちなんで醍醐寺としました。これが山上伽藍である上醍醐の草創。やがて山深い醍醐山は修験者の霊場として知られるようになり、後に得られた天皇の庇護も重なって、元は聖宝の私寺でしかなかった醍醐寺は徐々にその寺格を高めていきました。
西大門。慶長10年(1605)、豊臣秀頼によって再建された門。通称「仁王門」と呼ばれています
とりわけ延喜7年(907)、醍醐天皇の御願寺に指定されたことが寺の知名度を飛躍的に高めたと言ってよいでしょう。その頃には山上に薬師堂や五大堂など壮大な伽藍群が完成し、ますます多くの参詣者が寺へと足を運ぶようになっていました。
ところが伽藍が山上にあるゆえ堂塔の建築には限りがあり、更に急な山道を登ることに困難を覚える者も多く見られたことから、延喜19年には山の麓の平地にも各伽藍の建設が始まりました。後に下醍醐と呼ばれる広大な境内の草創。32年後の天暦5年(951)、五重塔落成をもって下伽藍の完成をみました。
およそ200万坪以上の広大な境内を持つ上下合わせた醍醐寺。上醍醐では創建の頃から今なお湧き続ける醍醐水が、人々の喉を潤し続けています。上にも挙げた寺の縁起を調べてみると、この醍醐水については聖宝の前に立つ横尾明神が谷から流れ落ちる清水を掬って飲んだ折、あまりの清らかさに「これこそが醍醐味なるかな」と感嘆したお話が伝わっています。せっかくですから標高450メートルの山の頂へ至る中途、湧き出るこの清水をぜひとも飲んでみてはと思います。
同じく上醍醐に建つ醍醐天皇の御願堂として築かれた薬師堂の薬師三尊像(現在は保存に万全を期すため下醍醐の霊宝館へ遷座)は寺に現存する仏像の中で最古のものだとされています。また堂じたいも上醍醐に残る平安時代唯一の遺構ですので、霊宝館にて仏像を見た後には薬師堂の外観も忘れずカメラにおさめておきましょう。
朱雀天皇が承平6年(936)に醍醐天皇の冥福を祈るため着工したのが下醍醐に聳える五重塔。
天暦5年(951)の村上天皇の時代に完成し、その高さはおよそ38メートル、京都府下に残る木造建築物としては最古のものです。同時に初層内部に描かれた両界曼荼羅、真言八祖像をはじめとした壁画の類は十世紀の絵画として唯一のものであることに加えて、真言八祖像にある空海像は、現存する空海の画像としては日本最古のものであることから、わが国絵画史上貴重な作品となっているようです。
五重塔。塔のおよそ3分の1を占める屋根の上の相輪の長さは約13メートルあります
われあはれ 古りし醍醐の塔にさへ 丹朱の色の残れるものを
与謝野晶子
上下の醍醐の桜がり
高浜虚子
醍醐寺は古今の偉人が続々と訪れたことでも有名なお寺。とりわけ虚子が題をとった桜については醍醐寺の代名詞ともなっています。実際醍醐寺は別名「花の醍醐」とも称され、辺りに温かさが感じられる時節になれば、境内至る場所で咲き誇る桜の色味に心は奪われます。残念ながら取材に訪れた日は未だ二分咲きといった趣でしたが、例年かわづ桜をかわきりに、しだれや八重ザクラにソメイヨシノが境内全域を淡いピンク色に染め変えて、建ち並ぶ伽藍にも程よい軟らかさが加わります。
清流宮本殿。醍醐寺の鎮守社で、最初に建立された上醍醐からその分身を移し祀ったお堂です
特に寺の中心伽藍である金堂は元来入母屋造の本瓦葺でできた荘厳な佇まいですが、その脇で咲き誇る大山桜が絶妙なアクセントとなって実に春らしい華やかな印象を与えてくれます。紀州の湯浅から金堂を移築することを命じた豊臣秀吉も、ともすればそうした桜が魅せるマジックに完全に惚れこんだ一人なのかもしれませんね。
金堂。元は釈迦堂と呼ばれていました
慶長3年(1598)3月15日にこの地で催された花見(醍醐の花見)は史上最も豪華で盛大なものであったと言われています。秀吉の側室や正室は元より侍女や武将にその妻子も含めた多くを寺に招き、最終的にはその数合わせると総計1300人にも達したそう。
大山桜
秀吉の花見にかける熱情は凄まじく、開催前には二度も自ら寺を訪れ、その準備の直接的な指揮をとりました。参加女性の二回の衣替え、三宝院庭園の整備、下醍醐から上醍醐に続く参道へ移植した700本以上の桜など周辺警護のものものしさと併せても全く疑うことなき歴史的な催しであったことが再確認できます。
三宝院。現在の三宝院は慶長3年(1598)、豊臣秀吉によって再建されたもので、内部(有料)には秀吉設計の桃山時代を代表する庭園が広がっています
ちなみに花見の開かれた前日と翌日はひどい雨だったそう。であれば当日天気に恵まれたのはともすれば秀吉の桜にかけた強い念が幸運を引き寄せたとも考えられなくはないですね。
弁天堂。その周囲には秋ごろ、紅葉がよく栄えます
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アクセス
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
TEL 075-571-0002
地下鉄東西線醍醐駅から徒歩約8分、またはJR山科駅よりバスで醍醐寺前下車
詳しくは下記オフィシャルサイトをご覧ください。
https://www.daigoji.or.jp/index.html
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