兵庫県は西宮市の名の由来については、「京の都から西の方角にある地」がその発端としてあり、古くは平安時代の百科事典『伊呂波字類抄』や伴信友『神名帳考証』にも西宮の表記が見られます。西宮は古くから特別に重要な神様の住まう地であるとされ、その中心神社として鎮座する廣田神社へ参拝することは中世の貴族たちから特に西宮参拝、あるいは西宮下向と称され厚い信仰の対象とされてきたようです。
廣田神社鳥居
実際、廣田神社の歴史は兵庫県の数ある社の中でも最も古く、その創建は神功皇后摂政元年(西暦201年)にまでさかのぼる非常に格式高いお寺なのです。加えて西宮参拝が恒常化していたのは、この歴史ある廣田神社が持つ創建にまつわる魅力的なエピソードと決して無縁ではないのでしょう。
神功皇后摂政元年に神功皇后が三韓征伐に出陣している間、忍熊王(おしくまのみこ)は神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにするべく明石で待ち伏せする計画を着々と進行していました。三韓征伐の帰りにその計画を知った神功皇后は、急遽道中を迂回し難波の港を目指すことに。
ところが港に着く直前、荒れた波によって船が海中をぐるぐる回って進めなくなってしまいました。皇后が神意をうかがうと、天照大神の「荒魂を広田国に置け」とのご宣託が降り、それに従い廣田の森に荒魂をお祀りしたところ、神功皇后の運気は急上昇、その後の戦にも破竹の勢いで連戦連勝を重ねたのだそうです。
その後、源頼朝の兵士討伐や蒙古襲来の折にも廣田神社は御神威を発揮、現在でも廣田神社に参れば勝ち運が上昇するとの噂が絶えず、毎年多くの参拝者が希望を胸に廣田神社を訪れるのだそう。
中でも、勝ち運を上げるため、毎年シーズン開幕前に阪神タイガースが廣田神社へ優勝の祈願に訪れるのはよく知られた話ですね。これは球団が結成された昭和11年(1936年)から79年続く慣例で、廣田神社へ寄せるタイガースの信頼感をうかがわせる関係性ですね。2016年は3月2日に既にその必勝祈願が行われたそうで、今年のタイガースの活躍に期待は高まるばかりです。
さて、せっかくですから、私たちも勝ち運のご利益にあやかるべく廣田神社の本殿に参ることにしましょうか。廣田神社の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて昭和31年(1956)から38年にかけて改築整備されたもの。殿内には主祭神として天照大御神之荒御魂を祀るほか、向かって右側の第一、第二脇殿に住吉三前(すみよしのみさきの)大神、八幡三所(やはたのみどころの)大神、そして向かって左側の第三、第四脇殿には諏訪建御名方(すわのたけみなかたの)大神、高皇産霊(たかみむすびの)大神がそれぞれ祀られ、いずれも主祭神と浅からぬ縁を持つ神様であるようです。なお脇殿は昭和38年(1963)に新しく築かれたもので、本殿に比べてやや小ぶりな造りが印象的でした。
本殿
第一・第二脇殿
拝殿に据えられたタイガース銘の酒樽
本殿を背にして横に広がる大きな石段を降りている途中、淡紫色の花びらを咲かせたコバノミツバツツジの花が視界に映りました。廣田神社のコバノミツバツツジは元禄・寶永・正徳の頃(1688〜1715)に多く栽培され、当時の歌人らはよくこのツツジを題にとって歌を詠みました。その独特な色合いから通称「廣田山の躑躅(ツツジ)」とも称され、時節である3月末から4月中旬には廣田神社の外苑内およそ2万平方メートルに亘って大きな群落を形成するそうです。残念ながら今年はその群落を見る機を逸してしまいましたが、おそらくツツジの「千古の神蹟に相応しい」美しさで彩られた境内は他の季節に見る風景とはまた違った感動を我々の心に残してくれるのでしょう。
齋殿神社。御祭神は葉山姫命
伊和志豆(いわしず)神社。創建された年代は不明。現在の社は平成2年に再建されたようです
御神水
廣田神社境内。石段を上がった先に本殿。手水舎(画像中央)、納札所(画像左)
コバノミツバツツジ。関西地方の低山を中心に分布し、葉が小枝の先に三枚輪生する様を特徴としています
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アクセス
兵庫県西宮市大社町7-7
TEL 0798-74-3489
阪急電車:西宮北口駅南口より、阪急バス甲東園行き乗車、広田神社前停下車
阪神電車:西宮駅北口より、阪神バス山手東廻り乗車、広田神社前停下車
JR :西ノ宮駅北西より、阪急バス乗車、広田神社前停下車
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.hirotahonsya.or.jp/index.html
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