静岡県島田市は昔の旅人にとって“東海道隋一の難所”でした。大井川の増水によって川越ができなくなると、長雨の季節は長期滞在も余儀なくされるため、東海道五十三次23番目の島田宿(しまだじゅく)が栄えました。
島田宿の氏神として大井大明神が鎮座したのは1276年頃だと伝えられています。1604年の大洪水で街の大半が流され、神社の石の鳥居までもが海辺に流されたと伝えられています。街は東北の方角に位置を移し、神社もそのすぐ隣の山にお遷しされたそうです。
復興を果たした1615年、神社は現在の御仮屋(おかりや)町にお遷しされます。その丘地では大きな水害を受けることはありませんでしたが、宿場町として栄えたことで民家が急増します。生活汚水が氏神様の方へ流れることを申し訳なく思った住民たちが、神社を現在の地にお遷しされたのは1689年です
島田の街中に佇む「鳥居」
安産祈願「帯塚」。役目を果たした帯が納められている
参道の石垣は、江戸時代に川越稼業をした人たちが大井川の河原から無事に帰るたびにひとつずつ持ち帰った石を積み上げてできたもの。江戸、大阪間を往復した飛脚たちが旅の安全と大井川川越の無事を祈って奉納した燈篭(とうろう)など、あちらこちらに納められた品から、強い願いを感じとりました。
約300年前に造営された「石の太鼓橋」
石垣に護られた「参道」
湧き水の恩恵を受けた地であることも、うかがい知ることができます。神前にお供えする湧き水を汲み、穢(けがれを祓(はら)う「清めの神井戸」があった所には、祓戸(はらえど)神社が建立されています。
境内の地下より汲み上げられた「双龍の手水」
大井神社の御祭神は水の神である弥都波能売神(みづはのめのかみ)、土の神である波迩夜須毘売神(はにやすひめのかみ)、日の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)。三柱はいずれも女神ですから、女性や子どもを守護する安産の神様としても祀られてきました。
昔、島田に嫁いだ花嫁は氏子になったご奉告と安産祈願のために大井神社を訪れました。その後、町の人たちに帯を披露しながらあいさつ回りをする風習があった名残は、300年の歴史を誇る島田大祭に伝えられています。
水、土、日の神が祀られている「大井神社拝殿」
通称「帯祭り」と呼ばれるこの大祭が催されるのは3年に一度。10月中旬です。十万石の格式を持つ大名行列の花形であり、神輿(みこし)の警護にあたる大奴(おおやっこ)は山伏の格好をしています。腰にさした2本の木太刀(きだち)に帯をさげて、蛇の目傘(じゃのめがさ)をさしながら練り歩く姿が独特なことから、日本三奇祭のひとつに数えられます。
ご本社の前に参拝すると心身を浄められる「祓戸神社」
お祭りのとき、大名行列、神輿行列につづくのは「鹿島踊り」です。水害が多い町に流行った疫病を鎮めるために、春日神社と一緒に伝わりました。千葉県の房総半島から静岡県の伊豆半島を中心に奉納される神事で、島田はその最西端の地と言われています。
大井神社の外周を流れる用水が、あまりに速くて勢いのよいことに驚きました。出勤途中に参拝に訪れた人の姿や、自転車を止めて鳥居に一礼して立ち去る人の姿に、この神社が氏子たちと共にいくつもの朝を迎えてきたことを気づかされました。
安産祈願「大奴」
疫難消除祈願「三番叟」
豊作を祈った「田のかんさま(かみさま)」
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アクセス
静岡県島田市大井町2316番地
TEL 0547-35-2228
JR島田駅下車徒歩約5分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.ooijinjya.org
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