神の水と愛を叶える巨木「梨木神社」

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梨木神社の創建は明治18年(1885年)、久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)の令旨によって、三条家の邸宅跡に三條実萬(さねつむ)を祀るための社殿を造営したことに端緒を持つ神社。大正4年(1915年)には大正天皇の即位を記念して、実萬の子である実美(さねとみ)を合祀しました。

 

南側鳥居

 

参道。秋には萩の花が参道を彩ります

 

三條家といえば五摂家に次ぐ公卿最高とも称される家柄ですね。代々質素清廉に重きを置いて、時代を通じて優れた賢才偉人を輩出してきました。とりわけ実萬、実美父子においては、ともに幼少の頃から和漢の学や作歌や作詩に書画といった芸道に優れた才覚を発揮したほか、その温厚で面倒見のよい柔らかな性格から常に人心を捉えて離さなかったようです。実際のところ、光格、仁孝、孝明の三帝に仕えた実萬は動乱の幕末期にあって朝幕関係の周旋に奔走、朝権回復に多大な功績を残した結果、明治2年には明治天皇から「忠成公」のおくり名を賜わっています。
また実美についても、どれだけ位が昇格しても衣服から飲食、居邸に至るまで全く奢るところなく質素を貫き、職務の面でも内大臣兼総理大臣となった折には明治の諸制度を見直し、議会政治の基礎を作ることに尽力したとされています。
なお都が東京に移されるに当たり、京都御所が廃止されそうになった時には京都が寂れてしまうと明治天皇に進言、それによって京都御所廃止案が中止となったばかりか、以後の国家の大礼は京都御所にて実施することとなったそうです。
今の京都があるのは、ある意味ではその礎を築いた実萬の功績、そしてその遺志を引き継いだ実美の邁進があったからなのかもしれませんね。

 

年の昔の園もかくやありし、木の下かげに乱れさく萩
                      湯川秀樹

 

湯川秀樹歌碑。湯川秀樹は梨木神社「萩の会」の初代会長であったそうです

 

拝殿・本堂

 

実萬、実美の2柱は本殿に祀られています。
ともに学問・文芸の神様であることから、参ることでその種の成就に多大なご利益を与えてくれるそうです。ちなみにその神威を象徴するがごとく、境内には江戸後期の国学者上田秋成の歌碑と日本最初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹の歌碑が据えられています。
読んでみると、湯川の歌碑からは境内に咲き乱れる萩の花の情景がありありと浮かんでくるようでした。事実、境内にはおよそ500株を超える萩が植えられており、秋も半ばになると、境内は萩の紫で鮮やかに装飾されます。その美観たるや、まさに京都を代表する萩の名所と称するにふさわしい。梨木神社が別称として「萩の宮」と言われるのもそうした美的景観が四季を通して潜在しているからなんですよね。

 

では、次に梨木神社を代表する2つのパワースポットを巡ってみましょうか。
一つは京都三名水(他に醒ヶ井・県井)に数えられる染井の水について。三つの中では唯一この染井の水だけが未だ枯れずにコンコンと水が湧き続けているようで、全国津々浦々毎日多くの人がこの神水を汲みに訪れます。取材時にも幾人かがペットボトルに水を溜めている姿が印象的でした。なおその名の由来は、この井戸の水で染め物をすると、きれいに染まるゆえ、平安の頃から盛んに宮内の染所として使用されていたからなのだとか。お味は言わずもがな。口当たりはとてもまろやかでしたので是非飲んでみてはと思います。

 

染井の水。土日祝には行列ができるときもあります。そのため一回で汲める量は5リットルまでとなっています

 

染井の水の向かいには太く根を張るご神木の桂の木が聳えています。別称を愛の木としているのは、幾重にも広がる葉っぱがハートの形をしているからなのだそう。側には願い事の記された絵馬がたくさん下がってあって、ここが恋愛成就に殊更強い霊験を持っていることが伺えますね。幹を撫でながら願い事を念じるとより成就しやすくなるそうなので、どうしても叶えたい恋があるなら是非この特別な力に頼ってみてくださいね。

 

愛の木

 

上田秋成歌碑。「ふみよめば絵を巻きみればかにかくに 昔の人のしのばるるかな」と刻まれています

 

湯川秀樹歌碑。湯川秀樹は梨木神社「萩の会」の初代会長であったそうです

 

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