横浜・山下公園に行ったことがある人なら、岸壁に豪華客船が停泊していたのを覚えていませんか。それが今回ご紹介する「日本郵船氷川丸」です。
nbsp;
(左)とにかく大きくて目立つ、山下公園の岸壁に係留されている氷川丸
nbsp;
氷川丸は、三菱グループ創始者の岩崎弥太郎が、土佐藩の回漕業者だった九十九商会を継承したことからはじまった日本最古の船会社・日本郵船が保有していた旅客船です。1930(昭和5)年に誕生した氷川丸は、1960(昭和35)年に引退するまでの30年間、日本とアメリカを結んでいた日本屈指の豪華客船でもあります。30年間で氷川丸が太平洋を横断した数は127回!飛行機に乗って短時間で海外へ行くことができる現代とは異なり、渡航手段が船しかなかった時代に人々がどんな旅をしていたのか、船内をめぐりながら当時の様子をうかがい知ることができます。
nbsp;
見学順路に沿って歩くと、まずは1920~30年代に流行したアール・デコ様式の内装が特徴の一等船客エリアです。タキシードやイブニングドレスで身を包んだ紳士淑女がディナーを堪能していたダイニングサロンはわかりますが、読書や手紙を書いて過ごすための読書室なんてものまであります。また、男性の社交場だった喫煙室には世界中の高級なタバコやお酒が揃っていたそうで、お酒を飲みかわしながらカードゲームを楽しんでいたようです。
nbsp;
(左)往時、紳士淑女がドレスアップして集った一等船客専用のダイニングサロン
nbsp;
(左)男性客がお酒を飲んだりカードゲームをして過ごした社交場の喫煙室
nbsp;
一等船客エリアはすべて絨毯敷きで、客室のある廊下まで敷き詰められていて、まるでホテルを歩いているかのようです。
気になる客室はというと、こじんまりしていますが、船の中だと考えたら贅沢な広さと清潔感のある部屋です。いちばん上のランクの一等特別室は、その倍の広さがあります。
ここで注目したいのは、一等船客エリアの客室に特別に行われていたサービス「飾り毛布」です。ベッドの上にはスタッフが毛布を折って形作った飾り毛布が置かれていて、さりげないおもてなしのサービスがお客にはたいへん喜ばれたそうです。飾り毛布はスタッフからスタッフへと受け継がれ、何十種類もレパートリーがあり、その中でも花や植物に見立てて作られたものは「花毛布(はなもうふ)」と呼ばれていました。
nbsp;
(左)船の中とは思えない落ち着いた雰囲気の一等客室の廊下
nbsp;
(左)ベッド上の花毛布には、スタッフのおもてなしの心が込められています
nbsp;
続いて上にある乗組員エリアへ。船の中枢部だった操舵室も公開されています。長い航海の間、時には乗組員たちが緊迫した時間を過ごしたこともあっただろう場所です。先ほど見学してきた一等船客エリアとは違い、ここへ来るとまた別の気持ちで海を見つめ、往時の船旅を想像することができます。
何かあった時にすぐ対応できるように、操舵室のすぐそばには船長室があります。これがなかなか立派な居室でビックリします(一等特別室の次くらいの快適空間!)。航海中はきっとひと時も気を抜けなかったでしょうから、せめて居室ではリラックスできるようにということだったのでしょうか?!
nbsp;
(左)整然と並んだ機械の美しさに目が行く操舵室
nbsp;
(左)氷川丸の竣工当時、陸上や他の船との通信手段はモールス信号でした
nbsp;
いちばん上に位置していた操舵室、船長室からどんどん下り、今度は下層部分にあるギャレー(厨房)へ。乗船客と乗組員合わせて300人以上の食事を、約60人のギャレー担当の乗組員が用意していました。日本郵船は特に料理に注力していて、氷川丸で提供する料理も美味しいと評判だったようです。
nbsp;
(左)1部屋に2段ベッドが4つも詰まっている三等客室
nbsp;
ギャレーを通り過ぎて奥に行くとあるのが、三等客室です。このエリアと一等とは行き来できず、三等の乗船客が一等エリアに行くには見学の申し込みをする必要がありました。食事にも大きな差があり、一等は豪華な洋食や和食だったのに対し、三等は焼き魚などの家庭料理が主に供されていました。
あまりに違いすぎていて、一等のような華やかさはまったくありませんが、三等はアットホームな雰囲気が良かったそうです。
nbsp;
氷川丸は日本とアメリカを結ぶ貨客船として活躍しましたが、時代の流れで本来の目的を果たせない時もありました。
戦争中は海軍に徴用され、負傷した兵士を治療して移送する病院船となったのです。特設海軍病院として船体は真っ白に塗り替えられ、船体の中央部分やその他の箇所にも赤十字マークが描かれました。戦後は復員軍人や一般邦人の引揚げ輸送を担うなど、重要な役割を果たしました。その後、再び貨客船として活躍し引退、山下公園の岸壁に係留されるまでの経緯を含め、氷川丸が辿った数奇な運命を知ることができる展示室が最後にあります。
nbsp;
このように氷川丸だけでも見応えがありますが、ぜひ日本郵船歴史博物館にも足をのばしてみてください。電車かバスなら近いですが、20分ほどで歩ける距離なので、お天気が良ければブラブラ散策しながら行くのもおすすめです。
氷川丸で疑似体験した船旅の世界の後はさらに踏み込んで、博物館の豊富な資料と映像で、日本の海運業の黎明期から現在まで時代をめぐってみてください。氷川丸を見学した後なので、島国・日本が船を通じて世界に進出し発展してきた歴史がより興味深く感じられ、そしてどれもすんなり耳に入ってきますよ。
nbsp;
デッキからの眺めもよく、横浜の街を堪能できます
nbsp;
日本郵船歴史博物館は、1936(昭和11)年に建てられた建物が魅力です
[su_note note_color=”#f6f6f6″]
インフォメーション
日本郵船氷川丸は1930年に竣工し、日本を代表する豪華客船として活躍した貨客船です。現在は横浜・山下公園の岸壁に係留されており、客室や機関室などを見学できる船として、古きよき船旅の世界を伝えています。
日本郵船歴史博物館は、日本郵船の歴史を通じ、日本の海運業の幕開けから現在までを紹介している博物館です。
[/su_note]
[su_note note_color=”#f6f6f6″]
●アクセス
日本郵船氷川丸
神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先
TEL 045-641-4362
みなとみらい線「元町・中華街駅」より徒歩3分
日本郵船歴史博物館
神奈川県横浜市中区海岸通3-9
TEL 045-211-1923
みなとみらい線「馬車道駅」より徒歩2分
詳しくは下記の共通オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.nyk.com/rekishi/
[/su_note]