神農さんに無病息災を願う、大阪「少彦名神社」

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大阪の道修町(どしょうまち)は、古くから薬に関わる企業で栄えたまちです。このオフィス街のビルとビルの間にある小さな神社が「神農(しんのう)さん」として親しまれている少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)です。

 

 

オフィス街にある神聖な神社

 

道修町は、豊臣秀吉の時代から長崎からの輸入品を扱う貿易商の町でした。当時は中国から輸入される唐薬種(漢薬)を多く扱っており、商人達は扱うものが人の命に関わる薬だけに、取り扱う薬種が本物か偽物か、品質の良し悪しはどうかを間違いなく遂行できるように、神様に祈願していたそうです。そしてこの地に中国の薬の神様である神農氏が祀られるようになりました。時が経ち国産の和薬が奨励され、八代将軍徳川吉宗の時代、1722年(亨保7年)に株仲間として幕府公認となって、独占的に薬種を全国に供給するようになりました。そして、1780年(安永9年)日本の薬の神様である少彦名命(すくなひこなのみこと)もここに祀られるようになったのです。

 

1822年(文政5年)大阪にコレラが大流行した時、道修町の町医者が虎の頭の骨を配合した丸薬を庶民に無料で配布しました。これにちなんで、少彦名神社では、厄除けの五葉笹につけた「張子の虎」が授与されます。
この時作られた丸薬が、社務所の3階にある「くすりの道修町資料館」に展示されています。今のように医学が発達していなかった時代、多くの人を助けようと薬業に関わる人達が奔走していたことがうかがわれます。偶然屋根裏から見つかったという丸薬は、大阪の町でコレラが広がるのを救った証拠となる貴重な一粒です。
資料館にはこの他にも、古くから薬の原料に使われてきた植物、動物、鉱物の薬種が保存されています。なかでも江戸時代中期から明治時代まで、薬業仲間の寄合所で保存されてきた文書は、3万3千点以上もあり薬の流通の歴史を知る貴重な資料となっています。天保年間の大塩平八郎の乱、第二次世界大戦での空襲でも焼けることなく奇跡的に残ったものです。

 

絵馬には中国と日本の神様が並んでいます

 

社務所の上にある「くすりの道修町資料館」

 

日頃から近隣の会社員や観光客が訪れる神農さんですが、毎年11月22日、23日に行われる「神農祭」は、大阪市内で催される今年最後の祭り「とめの祭」として、2日間で5万人もの人出で賑わいます。この2日間は道修町通りは堺筋から御堂筋までが車輌通行止になって露天が並び、町全体がお祭りムードに包まれます。
300年にわたって人々の信仰を集めてきた神農さんは、薬に関わる人だけでなく、家内安全、無病息災を願う人が訪れるオフィス街のパワースポットです。

 

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アクセス

少彦名神社(すくなひこな神社)
大阪市中央区道修町2-1-8
TEL 06-6231-6958
京阪本線・地下鉄堺筋線「北浜駅」より徒歩約3分
http://www.sinnosan.jp/
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