長野県下諏訪町、諏訪大社下社春宮の西を流れる砥川(とがわ)。その対岸の道を150mほど入ったところに万治の石仏はあります。
これが万治の石仏
胴の上に頭が載っているけど、首はどこ?
「万治」の名は、胴石に「南無阿弥陀仏」の六字が刻まれ、その左に「万治三年十一月一日 願主 明誉浄光 心誉広春」の刻銘があることによります。万治三年とは江戸時代の西暦1660年。今より350年以上前に、明誉と心誉という二人の人物が、この「あみだ様」をつくったことを示しています。
言い伝えによると、諏訪・高島藩主が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼した。石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ、そこから血が流れ出した(ノミの跡は今も残っているそう!)。石工は驚き、祟りを恐れて仕事を止めた。その晩、石工の夢枕で上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ、その山に行き探したところ無事に見つけることが出来、鳥居は完成した。石工たちは、これを記念して阿弥陀如来を祀ったといいます。
訪ねる時は近くにある諏訪大社下社春宮が目印
境内の左手に出ると小川があり、この対岸に石仏はあります
高さ2.7m、長さ4mの半球状の自然石の上に、高さ60cm余りの仏頭がちょこんと載せられています。見慣れた仏像と比べると稚拙な感じもしますが、独特な雰囲気のする、一度見たら忘れることのできない異形の石仏です。
異形と称されるのは、自然石の胴体に、別の石で彫られた仏頭が載せられていることからです。石仏は、一個の石から刻出されるのが一般的なのに、なぜ、このような石仏がつくられたのか。
胴部分の石にはゆったりとしたスケール感があるのに、他方、載せられた石は小さくアンバランスな印象。しかし、窪んだ眼差しには何でも見透かすような厳しさも感じられます。
下諏訪町界隈の歴史的な情緒を愛し、しばしば訪れた画家の岡本太郎は昭和49年の諏訪大社御柱祭に来た時、この石仏を見て「世界中歩いているがこんな面白いものは見たことがない」と絶賛。その後、新聞や雑誌で紹介され、願いを叶えてくれる石仏として一躍有名になりました。
岡本太郎画伯が揮毫した石碑も建てられています
隣接する諏訪大社下社春宮までは年中多くの観光客が訪れます。その境内を出て、歩いてすぐのところにあるユーモラスで不思議な石仏。諏訪に行った時には、立ち寄ってみてください。ちなみに、石仏の所在地は下諏訪町東山田字石仏となっています。
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アクセス
長野県下諏訪町東山田字石仏
JR中央本線下諏訪駅から徒歩25分
http://shimosuwaonsen.jp/
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