石庭の隙間が醸すもの 「龍安寺」

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龍安寺は宝徳2年(1450年)、室町幕府の管領であった細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け寺地とし、その後妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を初代住職としてこの地に迎えたことを始まりとしています。しばらくは妙心寺の禅寺としてその地位を高めていった龍安寺ですが、応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱の兵火で伽藍はことごとく焼失してしまいます。将軍足利義政の後継をめぐって生じたこの争いにはくしくも創立者である勝元自身が東軍の総大将として参画しており、結果として自らの菩提である龍安寺を失ってしまったのは誠に皮肉な話というしかありません。
11年にも及んだ乱の後は勝元の子である細川政元が中心となって再興にとりかかります。不幸にも寛政9年(1797年)に失火による大火災で方丈、昭堂、庫裏など著名な伽藍が失われる憂き目にあいますが、移転、再建で難を乗り切り、平成6年(1994年)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されたことで、現在ではあまねく世界にその名が知られています。

 

山門。江戸中期に建立

 

石庭。15の石が東側から5・2・3・2・3と群に分けて配置されています

 

「こだちなき にはをきづきて しろすなに いはすゑけらし いにしへのひと」
会津八一

 

龍安寺と言えばほとんどの人が方丈前に付された石庭を連想することでしょう。幅25メートル、奥行10メートル、油土塀で囲われた平坦な地面に、大小15個の石を5つの群に分けて並べただけの簡素な庭。地面にはあます箇所なく白砂が敷き詰められ、庭では珍しく草木の類がない。中国の山水の世界を日本人の感性を駆使して写した枯山水の庭園であることから白砂に引かれた砂紋は大海原を、また配置された石は大海に浮かぶ岩を現しているとされています。もっともこの見立ては確かなものとは言えず、そもそもこの庭がいつ誰の手で造られたものなのかも定かではありません。開山の義天玄承の手によるものか、はたまた創立者の細川勝元か、あるいは勝元の実子である政元の名も挙げられる中、とりわけ絵師の相阿弥が作庭者としては有力と言われ続けてきましたが、結局それも未だに確証を見出せずにいます。ちなみに掘際の細長い石に「小太郎・清二郎」との名が刻まれていますが、これは作庭者ではなく石職人の名だとされているようです。

 

ミニ石庭。全景を分かりやすく表現

 

方丈

 

多くが謎のままで今に残る龍安寺石庭ですが、時代を通じ名だたる参詣者がこの庭を拝見しに寺を訪れています。もちろんそのゆえは石庭の謎が特別な魅力として昇華されているからに他なりません。例えば「龍安寺の庭」を著した志賀直哉は石庭を前に「楽しむにしては厳格すぎるが、眺めることで不思議な歓喜を得られる」と絶賛しました。あるいは小説「美しさと哀しみと」を著した川端康成などは「禅学的にあるいは美学的に、ほとんど神格化されている」と記しています。概して両者に共通するのは抽象性が生み出す想像力の跳躍でしょう。白砂、石はむしろ背景に、立ち上がる空間の隙間から、銘々は否応なくそれぞれの物語を膨らませていく。そしてそこに潜んだ品格と香りに格別の恍惚を発見するのです。まさに石庭の楽しみ方は十人十色というわけですね。
ちなみに昭和50年(1975年)に来日したエリザベス女王も石庭を見て大絶賛、マスコミが取り上げ海外でZEN(禅)ブームが起こったことで、龍安寺は特に海外からの参詣者が多い寺としても知られるようになりました。

 

方丈の縁側に座って石庭を眺めていると、いつのまにか長大な時間が経過していました。場所が空くのを待っている方もおられるので、一旦石庭を離れ、方丈の内部を歩きます。

 

方丈は慶長11年(1606年)建立の建物で、寛政9年の大火災で失われたため旧方丈に代わり西源院の方丈を移築したもの。内部は六間取りで南側の3室は節欄間(ふしらんま)で分けられていますが、上部を開放しているため一つの大きな部屋として構成され、その襖には皐月鶴翁(さつきかくおう)が昭和28年(1953年)から5年をかけて描いた北朝鮮の金剛山と龍の図を見ることが出来ます。

 

つくばい

 

水面から顔を覗かせる分水石。農業用水として利用していたため、昔は水量をこの分水石で測っていました

 

さらに方丈の北東には銭の形をしたつくばいが据えてありますがこれは水戸藩主であった徳川光圀からの寄進物だと言われています。その上下左右にはそれぞれ意味深な文字が掘られていて中央の水穴を口に見立てて共用すれば「吾(わ)れ唯(ただ)足(た)るを知(し)る」と読むことが出来ます。これは釈迦が説いた知足(ちそく)の意を謎解きに図案化したもの。歴史的には非常に価値あるものとされていますので石庭同様、是非このつくばいにも足を向けてみてくださいね。

 

参道

 

石の大沸

 

寺の玄関口である山門へと向かっていると、その道中参道の横手に見える広大な鏡容池(きょうようち)が湖面を光らせていました。浮島には緑豊かな木々が茂り、季節によってはカモやサギが池の畔で羽を休める姿も確認することが出来ます。石庭とは趣の異なる鮮やかな景観に心を和ませてみてはいかがでしょう。

 

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アクセス

京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13
TEL 075-463-2216
京福電車 龍安寺道駅下車 徒歩7分
http://www.ryoanji.jp/smph/
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