禅と茶 栄西の残した功績「建仁寺」

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建仁寺は建仁2年(1202)に鎌倉幕府の二代目将軍源頼家が寺域を寄進し栄西を開山として建立されたお寺、山号を東山(とうざん)とし、京都五山では第三位に格付けされる京都最古の禅寺と言われています。もっとも当初は天、真、禅の3宗兼修の寺として始まったようですね。当時は天台、真言など既存宗派の勢力が強力で、栄西の希望する禅のみの寺ではどうしても朝廷からの許可が降りなかった事由がありました。結局建仁寺が禅専修の道場になったのは寛元4年(1246)、中国から来日しやがて11世住持となった蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が、禅の厳格な作法や規則を取り入れ始めた頃だとされています。

 

北門

 

参道

 

純粋な禅寺建立の叶わなかった栄西の目には、当時の既存宗派が形骸化し貴族政争の具と堕落したものと映っていたようです。また自身、比叡山延暦寺の僧であるがゆえに間近で、日本仏教の総本山の僧であると威張り散らすだけの僧達を見るにつけ、日に日にこの天台宗をどうにかして立て直さねばならないとの想いを膨らませていました。そこで栄西は宋に渡ることを決意します。ところがその宋では既に禅宗が起こり衰退した天台宗をひどく圧迫している時勢にありました。あくまで天台宗を第一義に考えていた栄西はこの現実にひどく困惑します。そしてわずか半年で帰国の途につきました。ところが帰国後、栄西は天台宗開祖の最澄が禅の研究に深く没頭していた事実を知り歓喜します。やがて禅を中心にした仏教を起こすことこそが我が使命であると悟った栄西は、文治3年(1187)には再び宋に渡り、天台山万年寺の虚庵懐敞(きあんえしょう)に師事すると、建久2年(1191)には懐敞より臨済の禅を広める許可を得ました。帰国した栄西は早速禅の布教を始めますが、やはり延暦寺の妨害に多々あったようです。しかしそれでも栄西、当時政権をにぎっていた武士階級が新しい仏教を欲していることを知るや、彼らを味方につけ、まずは武士の間に禅を浸透させようと行動します。それが見事に当たり、正治2年(1200)に北条政子を開基とする寿福寺(密教と禅宗の兼修)が建ち、続き頼家を開基とする建仁寺の創建につながったのです。

 

臨済宗の開祖として名高い栄西ですが同時に茶祖とも呼ばれていることはご存じでしょうか。2度目の宋への渡航の際、禅ばかりでなく、茶の知識を習得していた栄西は日本へ持ち帰った茶の種を肥前と筑前の境に立つ背振山に蒔きました。それを端緒に、それまで上流階級にだけ習慣とされていた茶が、栄西による喫茶の奨励により広く一般民衆にまで普及したのです。これはまさに栄西の功績なのです。

 

実際建仁寺の境内には栄西と茶の結びつきを連想させるものが多くあります。例えば栄西の功績を顕彰した茶碑やその裏手にある茶園。この茶園は茶の招来800年を記念して平成3年に植樹栽培したもので、毎年5月10日頃にはこの茶園より初摘みした茶葉を石臼で挽いて抹茶とし、6月5日に催される御開山歳忌にてお供えするとともに、ご遺徳茶恩に感謝の誠を捧げるのだそうです。

 

茶碑。背後に見えるのが茶園

 

本坊から方丈へ入り、その大書院を西へと向かうと、その先に「東陽坊」と呼ばれる茶室があります。元は豊臣秀吉が催した北野大茶会に用いた茶室の副席であったようで、二帖台目席で最も規範的な茶室とされ、脇には建築的には名高い建仁寺垣が設けられています。なお東陽坊の名はこの副席を好んだ利休高弟である東陽坊長盛(ちょうせい)にちなんで名づけられたそうです。

 

東陽坊を後にし、方丈を巡っていると方丈庭園「潮音庭」が確認できるでしょう。緑の苔に覆われた庭の中央にどしっと据えられた石は三噂石と呼ばれ、東西南北どこから見ても正面になるように工夫された造り。その東には坐禅石が置かれ、周囲には木々を配し、春夏秋冬に応じ様々な表情を演出してくれる見事に枯淡な禅庭となっています。
その他方丈には中国百丈山を模したとされる「大雄苑(だいおうえん)」や禅宗の四大思想(地水火風)を象徴させた「〇△□之庭」がありますので他の遺構と併せてご覧になってくださいね。

 

大雄苑。白砂が押し寄せる波のように敷かれています

 

潮音庭

 

〇△□之庭。〇と□はすぐに分かりますが△はどこで表現されているのでしょうか

 

ところで建仁寺は展示されている屏風、仏像、絵画の類のほとんど全てが珍しくも一般にも撮影が許可されています。例えば本坊入ってすぐ右手の室内には俵屋宗達晩年の最高傑作として名高い「風神雷神図屏風」が、あるいは方丈にて用意された上履きに履き替え法堂へ向かうとその正面に釈迦如来坐像が鎮座し、そのまま視界を上向ければ平成14年に創建800年を祈念して描かれた小泉淳作筆「双龍図」が天井いっぱいに広がっています。
シャッターを切る音に併せた発光と闇のグラデーションが阿吽の口した双龍を生々しく躍動させているようで、気づけば視線は龍の幾重にも連なる硬い鱗に釘づけになっていました。

 

法堂。五間四間、一重の禅宗様仏殿建築

 

三門。御所を望む楼閣という意味で、望闕楼(ぼうけつろう)と名付けられました

 

風神雷神図屏風。右が風神で左が雷神

 

双龍図

 

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