安倍文殊院の創始は大化元年(645)、当時左大臣として権勢を誇っていた安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が大化の改新の折、その氏寺として建立したことに端を持つお寺。永禄6年(1441)2月に勃発した松永弾正の政変で甚大な被害を被った以外は、創建爾来1300年経過した今でもその寺勢いよいよ盛んなお寺として日本全国にその名を発信しています。
とりわけ京都の智恩寺、山形の大聖寺と並び日本三文殊の一つとして数えられているのは有名な話。「大和安倍の文殊さん」の名で呼ばれている点も当寺がどこか万人に愛されている証であるような気もします。
山門。創建以来一度も閉まったことがありません
さて、寺名でもある文殊という言葉ですが、そこからみなさんはどのようなイメージを抱きますでしょうか?調べてみたところ文殊というのは文殊師利(もんじゅしゅり)の略称のことで、インドに実在したバラモン階級の人物を指しているようです。初期の大乗経典、とりわけ般若経典に盛んに登場し、南インドの地にて釈迦に代って般若の「空」を説いています。
じきに彼の元からは悟りを開く者が続出、そうした功績をたたえていつの頃からか文殊師利は「三世の仏母」などと呼ばれるようになりました。今では特に智慧を司る仏さまとして知られているようですね。なお「三人寄れば文殊の知恵」の文殊とはこの文殊師利のことを指しており、「知恵」は物事の在り方を正しく判断する「智慧」が変化し、この格言が出来上がりました。
参道
寛文5年(1665)に再建された安倍文殊院の本堂にはこの文殊菩薩が安置されています。
建仁3年(1203)に快慶によって造立され、高さはなんと7メートルにも及んでいますが、その像容である左手に剣、右手に経巻を持ち、鋭い牙を宿した獅子の上でどっしりと鎮座する姿は日本最大の文殊菩薩との誉を頂くに全く遜色はありません。その脇に仕える善財童子像(ぜんざいどうじぞう)をはじめとした4つの仏像とともに国宝にも指定されていますので、参ることで学業成就のご利益にあずかれる本堂にまずは両手を合わせてみてはいかがでしょうか。
本堂。入母屋造りの本瓦葺
本堂を参ったあとは文殊菩薩の霊験隅々までいきわたったスポットを訪ねてください。
筆頭に挙げられるのは通称智慧の窟とされている文殊院東古墳でしょうか。7世紀前半に巨石を使用し築造したとされるこの古墳は古来より閼伽井窟(あかいくつ)などと呼ばれ、数百年の昔より涸れることなく、こんこんと涌き出ている「知恵の水」がとりわけその信仰の対象とされてきました。現在は智恵のご祈祷を受けられる方々にこの水が授与されているようですが、外から参るだけでも学業に良い影響を与えてくれるかもしれません。
なお安倍文殊院では文殊院西古墳と称される7世紀中ごろ築造の古墳が存在しています。
安倍文殊院の創建者でもある安倍倉梯麻呂の墓であると伝えられ、内部には弘法大師お手作りと言われる願掛け不動の石仏が祀られています。東の古墳を参ったならばこちらも忘れず参って厳かに手を合わせておきましょう。
西古墳
東古墳
縁結びの神として信仰厚い白山菊理姫を主神として祭る白山堂の横手には合格門と称される朱塗りの小ぶりな門が建っています。松を使用して構築されているゆえもあってか、この門を一足先にくぐって合格を待つことで成就の可能性が高まるのだそう。
その先、やや傾斜のある石段を登ってゆけば、占いの開祖で有名な安倍晴明を祀ったお堂もありますから、その両者を組み合わせることで知恵と智慧はますます磨かれるかもしれませんね。
合格門
安倍晴明堂
仲麻呂堂(金閣浮御堂)。安倍一族を祀るために昭和60年に完成。平成22年には安倍晋三首相が石塔を寄進しています
白山堂。造りは流造屋根柿葺きで、堂は美しい曲線をしています
白石仏。参ることで、四国八十八カ所、西国三十三カ所霊場を巡拝したのと同じ功徳が得られます
[su_note note_color=”#f6f6f6″]
アクセス
奈良県桜井市安倍山
TEL 06-6621-2103
近鉄・JR桜井駅より徒歩20分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.abemonjuin.or.jp/
[/su_note]