門前町のにぎわいがあり散策も楽しい、弘明寺かんのん通り
京浜急行線と横浜市営地下鉄の駅名にもなっているほど歴史があり、その地に根ざしている弘明寺(ぐみょうじ)。毎年、正月にTV中継される箱根駅伝のルートとして、険しい坂が続く難所と紹介されるので、関東以外の方でも知っている方は多いかもしれません。市営地下鉄から弘明寺に向かうと、全長約300mもの商店街・弘明寺かんのん通りがあります。古くは弘明寺観音の門前町として栄えていたのが発展し、今では立派なアーケードがあり、雨知らずで買い物を楽しめる商店街になっています。他府県から訪れる者には、観光スポットとして定番のおしゃれな港町界隈や、にぎやかな中華街とは違い横浜にも雑多で生活感漂う下町があることが新鮮に感じられ、親しみを覚える町です。約130軒もあるお店を覗きながら、ようやくアーケードを抜けると目の前に弘明寺が見えてきます。
一見したところ仁王門の向こうには長い石段があり、その先の様子がまったくわからないので、立ち入ってよいものかどうか躊躇してしまうかもしれません。しかし、それを勇気づけるかのように、仁王門の脇にある立て看板には達筆な文字でこう書かれています。
「祈りの寺 弘明寺 お寺は誰もが自由に祈る場所です。仏様は、分け隔てなく、誰の声にも耳を傾けて下さいます。さあ、一緒に祈りましょう!」
カモン!ウェルカム!とでも言わんばかりの寛容さを感じさせる、お寺ではあまり見かけない類の看板に、ホッとする方もいるでしょう。
アーケードを抜けると、目の前には弘明寺の仁王門があります
勾配がかなりきつい石段の先には、チラリと本堂が見えます
明るくオープンな印象の弘明寺ですが、その歴史は古く、今から約1300年前にさかのぼります。養老5(721)年に、インドから善無畏(ぜんむい)三蔵法師がやってきました。その後の天平9(737)年、世の中に悪病が流行し、大阪の僧行基が天下泰平を祈願するため全国をめぐり、弘明寺がある場所に草庵を作り彫刻祈願したのが、現在の御本尊十一面観世音菩薩です。そして弘仁5(814)年、弘法大師が訪れた際に一千座の護摩を焚き、庶民の除災招福を祈願したそうです。それから少し時を経て、寛徳元年(1044)年に光慧上人によって瓦葺き本堂が建立され、明和3(1766)年に智光上人によって現在の本堂に再建されました。
このように開山するまでには様々な人物が関わった弘明寺は、現在では横浜最古のお寺となり、人々から親しまれています。
磨かれてピカピカの身代地蔵菩薩
御本尊十一面観世音菩薩(国宝)が安置されている本堂
仁王門をくぐると目の前には長い石段があり、参拝者は一段一段確かめながらゆっくり上り下りしています。途中の踊り場で足を止める人が多いのは、ひと休み兼、身代地蔵菩薩(みがわりじぞうぼさつ)があるからです。弘明寺での地蔵尊の歴史はまだ浅く、京浜急行が設立100周年を迎えた平成13(2001)年に、それを記念して人々の病気平癒や身体健全を祈願するために弘明寺に奉納されました。手を合わせ、地蔵尊の背後に大きく書かれている「オンカカカ・・・・・」というご真言7遍を唱え、自分の身体の悪いところと同じ場所をタオルなどでさすることで、身体の悪かったところが癒されるといいます。
石段を上りきると広い境内があり、本堂をお詣りした後で、境内を散策している参拝者が大勢いました。弘明寺の開山には、インドの善無畏三蔵法師、僧行基、弘法大師が関わっていますが、彼らとゆかりのあるものが境内にはあり、弘明寺の見どころにもなっています。
善無畏三蔵法師が日本を訪れた際、この地に霊域を感得され、石を据えて結界したと伝えられています。その石が「七ツ石」です。その名の通り7つもある大きな石は、万人に吉事を授けてくれる霊石として崇められています。そのほか本堂には僧行基が彫刻祈願した御本尊十一面観世音菩薩(国宝)や、弘法大師にまつわる大師堂や聖天堂があります。
三蔵法師が結界のために用いたとされる「七ツ石」
活気のある商店街とは一線を画し、石段をひとつ上るごとに喧騒を離れ、上りきった頃には落ち着いた境内の空気に気持ちが休まります。さらに、祈ることで心静かになることでしょう。
次の休日には、横浜のちょっと違った一面を見られる門前町を散策しながら、弘明寺を訪れてみてはいかがでしょうか。
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アクセス
神奈川県横浜市南区弘明寺町267
TEL 045-711-1231
京浜急行線「弘明寺駅」より徒歩2分、横浜市営地下鉄「弘明寺駅」より徒歩5分
http://www.gumyoji.jp/
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