段葛を行き、参拝したい「鶴岡八幡宮」

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鎌倉観光に行くと、必ず通るといってもいい道が2本あります。1本は、駅のすぐそばにあり、みやげ物屋や飲食店がズラリと並ぶ小町通りで、細い通りはいつも観光客がひしめきあっていて活気があります。もう1本は、小町通りと平行に並んでいる若宮大路です。若宮大路は、由比ヶ浜海岸から鶴岡八幡宮へとまっすぐ続いている、鎌倉の街の象徴でもある約2㎞におよぶ参道です。
大きな通りの中央には、「段葛(だんかずら)」という車道より一段高い歩道があり、鎌倉彫資料館にも近い二の鳥居から八幡宮へとつながっています。段葛とは、二筋の葛石を道の中央に置いてその間を高くしたものです。若宮大路の上にさらに道を敷いたかのように見える段葛はほかに類がなく、国の史跡にも指定されています。両サイドには桜が植えられていて、毎年桜の時期になると、段葛の桜並木をお目当てにたくさんの観光客が訪れる桜の名所でもあります。

 

両サイドは車の交通量が多いものの、段葛は古都・鎌倉の風情を残しています

 

段葛が終わると三の鳥居が見えてきて、いよいよ境内へ

 

段葛を通って八幡宮までまっすぐ歩いていくと、三の鳥居が見えてきます。平日の陽が沈みかけている時間でも、広い境内にはまだ大勢の参拝客の姿があります。
康平6(1063)年、源頼義が源氏の氏神として、出陣の際にご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を、由比ヶ浜辺にお祀りしたのが鶴岡八幡宮のはじまりです。その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝によって、治承4(1180)年、現在の地に遷されました。頼朝は直に社頭の整備に取り掛かり、御台所だった政子の安産祈願のために、由比ヶ浜まで続く参拝道もつくりました。そして建久2(1191)年には、今日まで続いている上宮と下宮の姿になり、頼朝の征夷大将軍の任命拝受も神前で執り行われました。

 

源義経を慕う静御前が舞を舞った「若宮回廊」跡にある「舞殿」

 

まさに「大石段」。上から鎌倉の街が一望できます

 

三の鳥居をくぐりそのまま直進すると、下拝殿に突き当たります。本宮(上宮)を石段下から拝むための建物です。舞殿ともいい、源義経を慕う静御前が舞を舞った「若宮回廊」跡でもあります。舞殿や若宮(下宮)では神前結婚式が行われることもあるので、参拝時に偶然重なれば、厳かに執り行われる儀式を外から見ることができます。

 

大石段を上りきるとある「本殿」

 

「がんばれ大イチョウ」の寄せ書きと絵馬に、再生を願う参拝客の思いが込められています

 

舞殿の先には本宮へとつながる大石段があり、そこを上りきると本宮があり、鎌倉の街をも一望できる清々しい場所です。
本宮は文政11(1828)年、11代将軍・徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、建物の内外は極彩色で、見事な彫刻が施されています。御祭神の応神天皇(おうじんてんのう)・比売神(ひめがみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)がお祀りされている八幡宮の中心となる社殿で、若宮とともに国の重要文化財に指定されています。

 

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本宮を参拝し大石段を下りてきたほとんどの人が立ち止まり、見つめていたのが大石段の脇にある「大銀杏」です。大銀杏の悲しいニュースを聞いたのはついこの間のようですが、もう3年が経過しました。八幡宮の大銀杏は、高さ推定30メートル、幹の太さは約7メートルもあり、樹齢は1000年ともいわれていましたが、平成22(2010)年3月10日未明、強風によって倒伏してしまったのです。
再生・再起を願って、元の場所に残された根は保全し、倒伏した大銀杏の本体は西側(隣)へ移植されました。現在は元の場所に残された根から出た若い木(子イチョウ)が勢いよく伸び、移植した芽からも萌芽し、葉を付けるまでになっています。静かに耐え忍び、新たな成長を遂げようとしている姿に力強いパワーが感じられ、親イチョウ、子イチョウの成長を見守りにたびたび訪れたくなります。

 

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アクセス

鶴岡八幡宮
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
TEL 0467-22-0315
JR・江ノ島電鉄「鎌倉駅」より徒歩10分
http://www.hachimangu.or.jp/
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