「福島の聖天さん」と親しまれている、如意山 了徳院

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大聖歓喜天(秘仏)という仏教の神様を祀る如意山 了徳院。江戸時代に多くの信仰を集め、延命、敬愛、福徳、除災などを祈願する人々が年間100万人にのぼりました。当時の参詣道は、商店街として賑わいを残し、地域の人々に今も「福島の聖天さん」と親しまれています。

 

一帯はかつて大阪大空襲で焼け野原となり、この「聖天さん」も山門を残して建物は全焼。人々の強い信仰心と寄進によって徐々に再建されました。現在は、本堂に向かえば、東の背に大阪駅北ヤードの高層ビルが見えます。そんな景色を眺めながら、先端都市へと発展した大阪と、それを支えた副都心・福島の歴史をたどってみたくなります。

 

ビルの谷間にある「聖天さん」の本堂

 

不動明王堂

 

ご住職の高岡さんが、聖天さんとこの地の歴史にゆかりのある人々のことを教えてくれました。
福島区は世界的な家電メーカー、パナソニック(旧・松下電器産業)の創業地。松下幸之助氏は聖天尊を仰ぎ、霊験を受けて金融恐慌からの業績の悪化も乗り切ったと伝わっています。15年をこの地で過ごして事業を進展させ、現在の門真市へと移転。1960年代には、松下氏より発売間もないカラーテレビがこの寺に寄贈されました。お寺にはお年寄りがたくさん集まって、テレビを囲みながら憩う風景が毎日見られたそうです。

 

JR福島駅から聖天さんへと続く「売れても占い商店街」

 

子持ち龍の木彫りと、江戸時代の建築様式・丸角流の垂木が残る山門。大阪府の重要文化財

 

商売人の方には、このように礼を尽くし、信心に勤めたことであらたかな霊験を授かった人々が大勢いるのでしょう。福島が多くの大手企業ゆかりの地であるのは「聖天さんのご霊験のおかげ」ともいわれています。

 

この聖天さんを慕っていたのは、商売人だけではありません。境内には、松尾芭蕉がやってきたという詠みの句が残っています。

 

―― かきつばた 語るも 旅のひとつ哉

 

杜若(かきつばた)を愛でながら心を癒したのでしょう。淀川近くの湿地帯であることから、5月には美しい杜若が咲き誇り、境内を鮮やかに彩ります。また、5月上旬には藤棚が一面に開花し、房が長く美しい野田藤の名所としても知られています。人々が美を慈しむ心は、時代を経て今に伝わっています。

 

放生池の倶哩伽羅龍王。龍は、創業、結婚などの成就のシンボル

 

杜若が咲く放生池には松尾芭蕉の句碑も立てられている

 

ご住職のお勧めは、市内をバスや電車で行き来する「しあわせ不動巡り」とのこと。北の不動をこの了徳院、南を天王寺の太平寺、西を築港高野山 釈迦院、東を鴫野のさせん堂不動寺とし、この4か所を「四合わせ(しあわせ)不動」と呼んでいます。

 

「四合わせ不動巡り」は、元総理大臣・佐藤栄作さんの遺言によって作られたもの。佐藤氏は、大阪鉄道局長時代に大阪駅のホームから焼け跡となったこの一帯を見晴らし、了徳院を指して「ここに不動を作ろう」と言われたとのこと。本堂が再建され、佐藤氏は度々ご祈祷に訪れていたそうです。その後、日本の高度経済成長にあたって、佐藤元首相の功績は言わずと知れたことでしょう。「四合わせ不動巡り」をしながら、このような市内各所の歴史をたどるのも面白いかもしれません。

 

現在、聖天さんがあるこの地域では、商店街の活性化を目指し、同時に「100万人のお参りを再び聖天さんに」と謳っています。

 

商店街へとつながる参道

 

「目には見えなくとも、神仏、歴史人を敬い、真意を持って手を合わせれば、必ず大きな助力を送ってくれる」。ご住職の力強い言葉に、「聖天さん」を中心に未来へと続く街の人々の笑顔が見えた気がしました。

 

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アクセス

如意山 了徳院
大阪府大阪市福島区鷺洲2-14-1
TEL 06-6451-7193
JR環状線福島駅より徒歩約7分
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