鎌倉で忘れてはならない歴史上の人物は、なんといっても源頼朝でしょう。鎌倉駅から歩くこと約20分。今回ご紹介する“銭洗弁財天”こと「宇賀福神社」は、頼朝ゆかりの神社です。
岩窟の前に鳥居がある宇賀福神社
鳥居をくぐり、岩窟を明るい方へと進むと、しだいに人々の声が聞こえてきます
さかのぼること今から約830年前、巳の年の文治元年(1185)。しかも巳の月、巳の日に、頼朝に宇賀福神(うがふくじん)の夢のお告げがありました。
頼朝は、平家を討伐して鎌倉幕府を開きましたが、そこからすぐ平和な世の中になったわけではありません。永い戦乱がもたらした影響は大きく、貧困にあえぐ人々であふれていました。その状況を打開するため、頼朝は人々の苦しみを取り除こうとして、神仏に日夜お祈りを捧げました。そこへ、先の宇賀福神が現れ、源頼朝にこう告げたのです。
「西北に行くと、岩の間からきれいな水が湧き出している隠れ里がある。その地には福の神がいて、その水を使っている。きれいなその水は神の霊水だ。神仏を祀り、その水を使えば、しだいに人々は自然に信仰心を起こし、邪鬼は去り、平穏な世になるだろう。私こそが、その隠れ里の主の宇賀福だ。」
目を覚ました頼朝は、夢で見た宇賀福神のお告げの通りに、西北の方へ、きれいな水が湧き出している泉を探しに出掛けました。すると、確かにその泉はありました。泉を見付けた頼朝は、そこに岩窟を掘らせて宇賀福神を祀りました。これが宇賀福神社創建の由来だといわれています。その後、霊水を使って神仏の供養を続けたところ、太平の世となり、人々も豊かになっていったということです。
岩窟を抜けて境内へ。さらに奥にある岩窟の中に霊水はあります
空いているスペースとザルを見付けたら、願いを込めてお金を洗います
このように、宇賀福神が創建のきっかけになりましたが、現代の私たちには、銭洗弁財天の方が親しみを感じられるかもしれません。銭洗弁財天の存在が広まったのは、もうしばらく後のことです。
それは頼朝亡き後の正嘉元年(1257)、巳の年の仲秋、執権・北条時頼は、頼朝の信心を受け継ぎ、隠れ里の宇賀福神を信仰していました。時頼が、いつ参拝するとすべての人が福徳を受けられるのかを調べたところ、「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」が良いとわかり、この日に参拝することを人々にすすめました。
そうして時頼のおすすめの日に大勢の人が参拝するなか、弁財天を信仰するある人が、奇妙なことをはじめました。持っている金銭を霊水で洗い清め出したのです。同時に心身を清めて行いを慎めば、不浄は消え去り、清浄の福銭になるといい、持っているお札や金銭を洗って、一家繁盛を祈りました。それ以来、現在に至るまで、お金を洗いにやってくる参拝者が絶えることはありません。この湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって帰ってくると皆に信じられるようになったからです。
平日の昼間でも参拝者でにぎわっていた境内。ザルをゆすって、ジャラジャラと小銭の音をさせている参拝者の顔は真剣そのもの。霊水の流れる奥宮の中は、独特の雰囲気が漂っています。お金を洗うとスッキリした気分になるのか、奥宮に来たときは誰もが神妙な面持ちだったのに、終えるとつきものが落ちたかのように晴れ晴れとした顔になるのが不思議です。
ザルにお金を入れて霊水で洗うと“福銭”となって、一家繁盛まちがいなし?!
小さな滝と池があり、清々しい雰囲気の境内社
宇賀福神社へ行くまでには長い坂があり、坂の途中に岩窟があります。岩窟の奥が、めざす宇賀福神社です。岩窟の前に鳥居があっても、奥が見えない岩窟に足を踏み入れるのは少し勇気がいりますが、岩窟を抜けるとそこには小さな滝や池もある、緑と水が豊富な心地よい空間が広がっています。鎌倉の隠れ里にある神秘的な岩窟へ、この秋ハイキングがてら出掛けてみてはいかがでしょうか。
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アクセス
神奈川県鎌倉市佐助2-25-16
TEL 0467-25-1081
JR「鎌倉駅」より徒歩約20分
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