紫式部の恋 「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」

0

二の鳥居を抜けた先、細殿と呼ばれる拝殿の前に左右一対、円錐型に盛られた白い砂山があります。「立砂」と称されるこの盛砂は本殿より北西2キロ先に聳える同じく円錐型の神山(賀茂山)を模して造られたとされ、神様が降臨される憑代としての働きを有しています。その盛砂の頂部をよく見ると左に3葉、右に2葉の松の葉が据えられ、これは陰陽道に従い、奇数と偶数を合わせることで神の出現を願う意を表しているのだそう。

 

一ノ鳥居から参道。奥に見えるのが二ノ鳥居

 

立砂。鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのはこの立砂が起源とされています

 

その神山に祭神である賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)が降臨したのが神代の頃、そして神武天皇の御代(678年)に麓の御阿礼所に賀茂氏がその氏神として賀茂別雷命を奉斎したことをもって上賀茂神社の創始としています(社伝)。一方「山城国風土記」によれば禊をしていた玉依媛命(たまよりひめのみこと)が賀茂川の上流から流れてきた丹塗矢(にぬりや)を持ち帰り床に置くや懐妊、その時生まれた男児が賀茂別雷大神であったことよりそれを創始とする見方もあります。玉依媛命と言えば下鴨神社の祭神でしたね。
つまり賀茂別雷大神から見て玉依媛命は母、同じく下鴨神社の祭神である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は祖父という非常に近しい関係となります。それを証明するように毎年5月15日に開かれる京都最古の葵祭では両社共同で実施され、葵の葉で飾ったおよそ500名を超える行列が上社と下社の道のりをつなげます。

 

下鴨神社には相生社と呼ばれる縁結びのパワースポットがありました。
それと通底するかのように上賀茂神社にも参ると縁結び、恋愛成就、子授かりのご利益がある片山御子神社(祭神は玉依媛命)が存在します。社の正面にはフタバアオイの文様が彫られた御鈴と五色の紐が垂れ下がり、脇には願いの書かれた絵馬が奉納されています。絵馬には十二単に袖を通した紫式部が描かれ、その横には

 

「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」

 

との句が。聞けば1000年も昔、紫式部は何度もこの社へ参っていたようで、その時詠んだ歌が上記だといいます。梢の木の下で雫に濡れながらまだ見ぬ未来の恋人を待ちわびる式部の心境が生々しくもあり、現代にも通じる女性の恋に対する切実な気持ちが感性豊かに表現されていますね。

 

片山御子神社

 

願い石。願い石の鎮座する渉渓園は映画「愛の流刑地」で菊治と冬香が再会した場所でもあります

 

人の縁を結ぶパワースポットをもう一つご紹介しましょう。
橋殿から東へ式部の歌碑と川を横目にそのまま真っ直ぐ進むと、とある庭園一角に「願い石(陰陽石)」と呼ばれる二つの石を合わせたような不思議な形をした石が据えられています。
これは陰と陽が極まり融合した姿を現しているようで、夫婦や男女で同時に両手で触れるとお互い深い絆で結ばれるのだそう。古くは龍の住む池の底にあった石が出土したものだともされています。見るからにパワーに満ち満ちた石ですから、お立ち寄りの際はぜひ触れてみてくださいね。

 

ちなみにこの石の鎮座する庭園は渉渓園(しょうけいえん)と呼ばれ、1960年、庭作家・中根金作の手により作庭された平安時代後期の様式を模したもの。およそ500坪の庭園内には緑豊かな自然が広がり、楓やツツジに馬酔木などが植えられ、わけても一際どっしり存在感を示すスダジイの巨木は300年以上も昔からこの地に根を張っています。その根から大樹が太く幾重にも伸びている姿は一つに結ばれた仲睦まじい家族を現しているのだとも言われており、それが所以かいつの頃からかこの巨木、別名「睦(むつみ)の木」などとも呼ばれるようになりました。その存在感は圧倒的で、家族の絆を見守るかのように聳える巨木に手を合わせることで何か特別な恩恵に授かれるような気にさせてくれます。

 

睦の木。背後に見えるのが願い石

 

ならの小川。ドラマや時代劇のロケ地とされることの多い川でもあります

 

スダジイの巨木に触れていると耳に小川のせせらぎが。特に静かな渉渓園ではその響きが耳に心地よく聞こえてきます。実際、上賀茂神社境内は水の社と形容してもいいほどに幾つかの川が北から南へ流れ抜けています。ちなみに本殿の東西両側から挟むように北から流れ来るのが「御物忌川」(おものいがわ)と「御手洗川」。前者が神事に使う祭器を洗い清める役割を果たし、後者が人を清める役割を果たしていますがちょうど橋殿辺りで合流後、蛇行しながら渉渓園の脇を南東へ流れていく頃には「ならの小川」と名を変えそのまま境内外へと注ぎます。

 

楼門

 

紫式部歌碑

 

「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」

 

藤原家隆の詠む句にあるよう、ならの小川は平安の昔、神職が禊を修していた川として有名でした。そういえば玉依媛命も賀茂川で禊をしていましたね。ちなみに賀茂川はならの小川の源とされていて、つまりは、玉依媛命が手にして、のちに賀茂別雷命へと変化した丹塗矢は、その前にはならの小川に沿って母となる玉依日売の元へと流れてきたということになります。そう考えると、ならの小川の清らかな流れが、さながら胎児を優しく包む羊水のように思えてくるから不思議です。

 

[su_note note_color=”#f6f6f6″]
アクセス

京都市北区上賀茂本山339
TEL 075-781-0011
市バス・京都バスにて「上賀茂神社前」下車すぐ。
http://www.kamigamojinja.jp/
[/su_note]