徳川吉宗が夢描いた江戸の花見の名所「飛鳥山公園」

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JR京浜東北線の王子駅で降りると、ホーム上から南側に小さな山が見えてきます。丘というよりは高台という印象、それが飛鳥山公園で、関東に広がる武蔵野台地の端にあたります。この季節は毎年、桜の花見客でたいそう賑やかになります。明治6年、太政官布達により上野公園、芝公園、浅草公園、深川公園などと共に日本で最初に指定された公園です。

京浜東北線のホームからも見える飛鳥山公園

 

この公園の起源は江戸時代にさかのぼります。江戸幕府の第8代将軍、徳川吉宗が享保の改革の一環として、この付近の整備を行い庶民に開放したことが始まりでした。

 

当時、鷹狩で飛鳥山をしばしば訪れていた吉宗は、享保5年(1720)から翌年にかけて、1270本もの桜を植えました。数年後、その桜が根付いて花を咲かせるようになると、茶屋の設置を許可し、庶民に公開しました。

 

当時の江戸には桜の名所といえば上野の寛永寺くらいしかなく、花見の時期は風紀が乱れていました。このため、人々は安心して花見ができる場所を求めていました。飛鳥山を整備して開放した時には吉宗自ら宴席を設け、花見の名所となるよう宣伝役を担ったそうです。

 

その後、「春花秋草夏凉冬雪眺あるの勝地なり」(『江戸名所図会』)というように、富士山や筑波山の眺望も楽しめて、かつ付近には王子稲荷などの社寺や滝などの見どころもあるので、年間を通じて人が集まる行楽地となりました。江戸の中心地、日本橋から2里(約8km)という日帰り可能な距離であったことも、発展の要因となり、多くの人々が訪れることになりました。

 

享保の改革といえば寛政、天保と並び江戸三大改革の一つで、倹約や風紀の取締りを徹底したと歴史の教科書で学んだ記憶があります。江戸時代、花見は庶民の最大の娯楽で、年に一度の桜の花見の席は飲めや歌えの大騒ぎであったといいます。そうした人々の気持ちを汲んでか、行政改革の一方で吉宗が庶民のために花見の場所の整備をしていたとは意外でした。

 

吉宗の業績を伝える飛鳥山碑

 

私が取材で公園訪れた時、ソメイヨシノが満開で、その花の下で家族連れなど大勢の人たちが芝生に敷物を拡げて花見を楽しんでいました。どのような種類でも、花は敵を作らずに人を穏やかな気持ちにするそうですが、花の下で溢れる笑顔を見ていると、吉宗の想いが約300年の時を越え現代へ続いていることを彼に報告したくなりました。

 

お天気にも恵まれて

 

花見を楽しむ人たち

 

ソメイヨシノが、ほぼ満開

 

桜のトンネルのような園内の散策路

 

飛鳥山公園は大きく4つのエリアに分かれています。桜並木で有名な緑のエリア以外に、子ども向けの遊具などを供えたエリア、人造の滝や川、噴水のあるエリア、そして博物館のエリアがあります。

 

古代から現在までの、北区を中心とした暮らしの歴史がわかる飛鳥山博物館や、かつてここ王子で操業していた王子製紙を記念して建てられた紙の博物館、飛鳥山に邸宅を持ち、亡くなるまで居住していた明治大正の実業家・渋沢栄一を記念した渋沢資料館など3館の博物館が建ち並んでいます。戦災のため旧渋沢邸はそのほとんどが焼失してしまいましたが、運良く焼けずに残った2つの建物が保存されており、一般公開されています。

 

渋沢庭園内の晩香廬(ばんこうろ)は、渋沢栄一の喜寿を祝って建てられた洋風茶室

 

渋沢史料館

 

飛鳥山公園はアクセスも非常に便利。京浜東北線、都電荒川線、地下鉄南北線が利用でき、王子駅前からは小山を登り降りするミニモノレールもあり、お年寄りたちが行列していました。さらに、京浜東北線の脇を走り抜ける新幹線も眺められて、園内には静態保存された都電や蒸気機関車もあるので、さながら“交通公園”のような趣きさえ感じられます。ゆっくり一回りすると半日はかかるくらいの充実した公園に、どうぞ足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

静態保存されているSL

 

ミニモノレール

 

自動車やバスの間を走る都電荒川線

 

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アクセス

東京都北区王子1-1-3
TEL 03-3916-1133(北区飛鳥山博物館)
JR王子駅南口より徒歩1分、東京メトロ南北線王子駅より徒歩3分、都電荒川線飛鳥山停留所より徒歩1分

詳しくは下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://www.asukayama.jp/
※飛鳥山3つの博物館ホームページ
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