女性の守護神、鴫野神社に愛の成就を誓う 「生國魂神社」

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史実としての生國魂(いくくにたま)神社の創建時期は明らかではありませんが、社伝によれば、およそ2700年前、神武天皇の東征の折、天皇が摂津国石山碕(現在の大坂城付近)に生島神(いくしまのおおかみ)・足島神(たるしまのおおかみ)をお祀りしたのが始まりとされています。

 

非常に由緒ある神社ですが、古代においてその変遷はほとんどベール包まれていて分かりません。ようやくその名が登場したのが孝徳天皇即位前紀(645年)、「日本書紀」に天皇が神道を軽んじて、生国魂社の樹を伐採したとあるのが文献上では初見に当たります。
その後は、難波大社神へ雨乞のための奉幣が遣わされたことや、社の神階の昇叙のあったことなどが幾つかの文献で徐々に散見されるようになり、古代も終わりになって、ようやく当社の動きが明らかとなっていきました。

 

更に文献によれば、当初、生国魂社は現在大阪城の建つ場所に鎮座していたようです。
それが天正11年(1583年)、豊臣秀吉が本格的に大坂城の築城を始めると同時に現社地に遷座されました。また近代に入ると、明治4年(1871年)には近代社格制度において官幣大社に列する誉にあずかります。が、社にとってはここからが艱難辛苦の連続。
明治45年(1912年)に起こった南の大火で社殿を焼失、後に再建されましたが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲で再び焼け落ちて、4年後に再建された社殿も、昭和25年のジェーン台風であっけなく倒壊してしまいました。現在、生島大神と足島大神を祀る社殿がしっかりとした鉄筋コンクリート製なのもそうした災禍の度重なる経験が成した様式なのでしょう。

 

鳥居

 

生玉の社散策道

 

悠久の歴史を刻み、幾つもの苦しい経験を積み重ねてきた生國魂神社を地元の人は尊崇と親しみを込めたまなざしで見つめています。大阪を代表する戎神社と住吉大社がそれぞれ「えべっさん」、「すみよしさん」と呼ばれているように、当社も「いくたまさん」との名で呼ばれていることからもその気持ちの強さが現われていますよね。もちろん、その気持ちの表れは、社の刻んできた歴史のみに由来するものではありません。社に参ることで様々なご利益を享受してきたいわば参拝者の生の実感こそが、生國魂神社をより格式高い霊場として存立させているのです。

 

社殿。ちなみに本殿の造りは生國魂造。本殿と幣殿をひとつの屋根で覆う珍しい様式です

 

例えば境内に居並ぶ11の摂末社のうち、もっとも女性からの信仰を集める鴫野神社(しぎのじんじゃ)へ参ってみてください。鴫野神社は生國魂神社を象徴する社として耳目を集めてきました。というのも、鴫野神社は戦国時代に秀吉の側室であった淀殿が厚く深く信仰していたとされる社なのです。参ることで心身成就や縁結びに強い効験があるとの噂が絶えず、古来より全国津々浦々、この地に足を運ぶ参拝客が後を絶ちませんでした。
そして今でも女性の味方である鴫野神社は女性の守護神として、悩める者にそっと手を差し伸べる存在であり続けているのです。壁面に下がった絵馬からは、女性たちの明るい希望が伝わってきます。

 

鴫野神社

 

また同じく末社の浄瑠璃神社も是非ご参拝ください。殿内には、近松門左衛門を始めとした文楽の先賢をお祀りしており、参ることで諸芸上達の効験があるようです。なお近松門左衛門著「曽根崎心中ー牛玉社の段」が生國魂神社の境内を舞台にしている点も、この浄瑠璃神社と関連させて覚えておくとよいかもしれませんね。

 

浄瑠璃神社

 

鞴神社。鞴(ふいご)とは火おこしの道具のこと。製鉄、機械工具などを扱う金物業界の守護神として信仰を集めています

 

家造祖神社。家造りの祖神をお祀りしている全国唯一の神

 

城方向八幡宮。大阪城の鬼門の守護神として城の方向を向いていたことからこの名がつきました

 

井原西鶴像

 

織田作之助像

 

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アクセス

大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
TEL 06-6771-0002
地下鉄谷町線谷町九丁目駅下車徒歩3分
詳しくは、下記オフィシャルサイトをご覧ください。
http://ikutama.com/
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