日本への伝来、世界への広がり

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Q:日本でお茶が飲まれるようになったのはいつ頃ですか?
A:最も古い記録は奈良時代で、中国から僧侶が持ち帰ったものが始まりでした。

 

日本へのお茶の伝来と発展

わが国でお茶に関する最も古い記録は「日本後記」にあり、中国から帰った僧侶の永忠が815年、近江の梵釈寺で嵯峨天皇一行に茶を献じたことが書かれています。当時、留学僧や遣唐使らが中国から持ち帰ったお茶の種子が栽培されていたようです。しかし、希少なお茶は一部の僧侶や富裕層だけに飲まれて庶民に広がりませんでした。

 

鎌倉時代になると1191年、宋から帰国した栄西禅師が、持ち帰った茶の種子を佐賀県の背振山に蒔いて栽培が行われました。これが日本で最初のお茶の本格的な栽培とされています。栄西はその後、日本初の茶書「喫茶養生記」を著し、お茶の薬効を紹介しました。

 

室町時代になると茶人の千利休が独自の茶道を完成させました。江戸時代には抹茶を点てる文化が確立されました。この頃になると庶民も茶を飲むようになりましたが、番茶が中心で色も赤黒いものでした。私たちが今、お茶から想起する緑色や抹茶色とは違うものでした。

 

そんな中、1738年には宇治の永谷宗円が新しいお茶の製法として煎茶を発明、また1835年には6代目山本嘉兵衛が抹茶に使う碾茶の新芽から玉露を開発しました。これらの製法が全国へ広がり、今日のような水色の美味しいお茶を庶民も味わうことが出来るようになりました。炒るから蒸すへ、日本へ伝わったお茶作りと楽しみ方は独自の発展を遂げ、日本人に愛される色と味、香りへと今も進化を続けています。

 

世界の呼び方は「チャ」「テ」の2通り

お茶の呼び方には「cha(チャ)」「te(テ)」があります。
“Cha”は「茶」の広東語発音である「チャ」に由来しています。茶は交流のあった日本・韓国はもちろん、陸路のシルクロードを通じて西域に伝わりました。これらの国々では”cha(チャ:日本と韓国)、chai(チャイ:モンゴル)、chay(チャイ:トルコ)、shay(シャイ:ロシア)、cha(チャ:ポルトガル)“などと呼んでいます。

 

“te”は「茶」を表す古い漢字の「荼(ト)」に由来し、福建省では”te”と呼んでいます。福建省のアモイ港から海上ルートで欧州に広がった国々では”they(テーイ:マレー)、thee(テー:オランダ)、tea(ティー:イギリス)、the(テ:フランス)などと呼ばれています。

 

欧州でもポルトガルだけは”cha”と呼んでいるのは、植民地だったマカオ(広東省)から輸入していたためです。広東語系の「cha(チャ)」、福建語系の「te(テ)」、世界で飲まれているお茶の呼び方からも歴史的背景を知ることができるのです。