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神様辞典 古事記を彩る神々

第24章 カムヤマトイワレビコノミコト(神倭伊波礼毘古命)~兄たちと共に東征を行って、大和に王権を築き初代天皇となった神

兄弟たちと共に東に都をつくろう決意し、大和朝廷を築いたワカミケヌミコト(若御毛沼命)。彼にはカムヤマトイワレビコノミコト(神倭伊波礼毘古命)などの別名があり、初代天皇となる神武天皇としても知られています。

≪カムヤマトイワレビコノミコト(神倭伊波礼毘古命)≫
カムヤマイワレビコノミコトの「倭」は、現在の奈良県にあたる大和地方を示しています。「伊波礼(いわれ)」は「磐余(いわれ)」と記し、奈良県の桜井市から橿原(かしはら)市にかけての古称です。その名の由来は「大和の磐余という場所に宮殿を構え、世の中を治めた貴い男子」ということになります。

またカムヤマトイワレヒコホホデミノミコト(神日本磐余彦火火出見尊)という名も持っています。「ホホデミ」は「穂穂出見」と表記される、稲穂の神の顔をうかがい知ることができます。

≪アヒラヒメ(阿比良比売)とヒメタタライスケヨリヒメ(比売多多良伊須気余理比売)≫
イワレビコトが東征を始める前に住んでいた九州の日向(ひゅうが)には、アヒラヒメという妻がおりました。二神の間には、タギシミミノミコト(多芸志美美命)とキスミミノミコト(岐須美美命)が生まれています。

神武天皇になると、彼は心機一転、新しい妻がほしくなったそうです。そして、オオモノヌシノカミ(大物主神)の娘であるヒメタタライスケヨリヒメを娶りました。

神武天皇とイスケヨリヒメとのあいだには、ヒコヤイノミコト(日子八井命)、カムヤイミミノミコト(神八井耳命)、カムヌナカワミミノミコト(神沼河耳命)という三人の男子が生まれました。

≪第2代綏靖(すいぜい)天皇≫
『古事記』によると、神武天皇の在位は76年、137歳で崩御(ほうぎょ)されました。没後、事態は思わぬ方向へと転がります。残されたイスケヨリヒメが、日向時代にできた天皇の長男であり、義理の息子でもあるタギシミミと再婚をすることになったのです。

再婚したイスケヨリヒメは、タギシミミにとっては義理の弟にあたる、三人の我が子の抹殺計画が企てられていることを知ってしまいます。息子たちに身の危険が迫っている旨を、彼女は歌で知らせることに成功しました。

次男のカムヤイミミがタギシミミを討とうとしましたが、手足が震えてしまってできませんでした。そして、末っ子のヌナカワミミがその役目を果たしたのです。長男のヒコヤイは自ら祭事をつかさどることを宣言し、勇気あるヌナカワミミを皇位に就けました。第2代綏靖(すいぜい)天皇の誕生です。天皇は母イスケヨリヒメの妹であったイスズヨリヒメ(五十鈴依姫)を皇后にしました。

≪歴代の天皇≫
綏靖天皇とイスズヨリヒメとの間に生まれたシキツヒコタマテミノスメラミコト(磯城津彦玉手看天皇)が第3代安寧(あんねい)天皇となりました。

第2代綏靖天皇から第9代開化(かいか)天皇までは歴史的記述がほとんどなく、「欠史八代」と称されるほどです。第10代崇神(すじん)天皇から、歴史を垣間見ることができます。皇位5年には国内に疫病がはやって国民の半数以上が死亡し、生活に苦しんだ民は反乱を起こした苦しい時代であったようです。

再び伝説となるほどの強烈な人物が現れるのは、第12代景行(けいこう)天皇の時代です。その息子として語り継がれてきたのは、ヤマトタケルノミコト(倭建命)です。武神や英雄として称えられてきた彼は、少年時代から、兄の手足をもぎ取って殺し、死体を捨て去るほど残酷な性分も持っていました。天皇はそんな息子を畏れるあまり、征伐ばかりを命じて、中央から遠ざけたそうです。異郷の地で死を迎えたヤマトタケルが白鳥となったという悲話は、みなさんの知るところとなっています。

建国の神として知られるカムヤマトイワレビコノミコトは、宮崎県の宮崎神宮、奈良県の橿原(かしはら)神宮に祀られています。国家安泰、困難克服の御利益があると信じられています。

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【参考資料・web】

「面白いほどわかる日本の神様(監修:山折哲雄、著:田中治郎)」日本文芸社
「神話のおへそ(監修:神社本庁)」扶桑社